2025年4月23日、リクシスは、第26回『全国ビジネスケアラー会議』を開催いたしました。
これから高齢社会がより一層加速し、仕事と介護の両立が当たり前の時代がやってきます。本オンラインセミナーは、高齢化の流れが加速する日本社会において、現役世代として働きつつ、同時にご家族の介護にも携わっている「ビジネスケアラー」の方々とその予備軍となる皆様に向けたセミナーです。
今回のテーマは「親の介護と働き方」。
介護の経験は百人百様です。経験者の方の介護との向き合い方など経験談を聞くことで、仕事と介護の両立についてのヒントが見えてくることがあります。
今回は、お一人でお母様の介護に向き合い、介護離職について真剣に考えていらっしゃった江口美和氏をお招きし、在宅から介護施設を探し始めるタイミングや、その時に考えていたことなど、実体験をもとにお話しいただきました。
この記事では、
などのテーマでまとめています。
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①経験者が語る 親の介護と働き方 ~在宅から施設探しで直面するハードルと選択肢~(前半)⇐このページのテーマ
②経験者が語る 親の介護と働き方 ~在宅から施設探しで直面するハードルと選択肢~(後半)
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江口美和(えぐち・みわ)
IT系企業
高齢の母を1人で在宅介護し、介護離職を考えるほど追い詰められた時期を経験。
仕事を続けながら介護と向きあい、介護制度や支援サービスを調べ、活用することで環境を整えていった。施設入居という選択は迷いもあったが、ケアマネージャーの助言により決断。結果的に家族にとって安心できる選択となった。社内の働き方アドバイザー職として、制度を知り使うこと、周りの人を頼る大切さについて、介護に向き合う人々への情報発信にも力を入れている。
本日は私の介護の経験を話させていただきます。介護には様々な形がございますので、あくまで一例として聞いていただければと思います。
私は福岡在住で、母も福岡で暮らしていました。父は他界していて、弟がいるのですが関東に単身赴任中。そのため、母のサポートをするのは私しかいないという状況でした。
夫の両親も高齢ですが、それぞれの家族はそれぞれで見ようと話し合っていたので、今回の話に夫は出てきません。
介護のことは基本的に私のワンオペで行っていましたが、その分家族は自宅での家事をサポートしてくれていました。
母は以前大腿骨骨折をしていて、足が不自由でした。ただ、杖をついて元気に出歩いていましたし、父の介護も私と母で行っていました。
ですが、父が亡くなってすぐ、立て続けに母が3回入院をします。
1回目は、布団を持ち上げた時に腰の骨を折ってしまい入院。忌引きの後すぐまた休暇をとりました。退院後も「1人にしていて大丈夫かな?」と思うようになり、土日の度に母の様子を見に行くようになります。
入院していた時、病院から介護認定を更新してみるよう勧めていただきました。更新を申請したところ、要介護認定2になってケアマネージャーさんをご紹介いただきました。
母はケアマネージャーさんともすぐに打ち解け、頻繁にコミュニケーションをとっており、元気にやっている様子でした。私も土日以外は普通に仕事をしていたのですが、2回目の入院は私の出張先へ病院から連絡がありました。
母が1人で通院した時に、助骨がもしかしたら折れているかもしれないということが発覚してそのまま入院に。
入院になると、必要なものを届けたり手続きをしたり、洗濯をしたりなどお世話をすることが増えてしまいます。このあたりで介護休職を考えるようになりました。
私の会社は3ヶ月前までに介護休職の申請を出さなければならなくて、7月からとるつもりで3月に申請を出していました。
介護休職に入る前のラストスパートとして、多忙なプロジェクトに取り組んでいたところ、5月に母が転倒して骨折し3回目の入院に。
その時の骨折の場所が悪く、骨盤が真ん中から割れてしまった。1週間身動きが取れない状態が続いた後、母の様子がおかしくなりました。まるで、スイッチが押されたかのように認知症を発症してしまいました。
これは私だけでなく、病院の先生たちも急なことでびっくりするくらい。母は、私が介護休職が始まる7月あたまに退院し、その日から介護生活が始まりました。
2回目の入院の際に介護休職を取ろうと考えるようになったのですが、その理由についてお話します。
この頃はまだ認知症も発症していないので、比較的元気という状況でした。
ですが、母は一人暮らしです。ご近所など周りにとても良い方々がいらっしゃって見守られている状況でしたが、それでも何かあれば必ず家族である私に連絡がきます。
弟にも連絡はするのですが、頼りになりませんでした。遠方に住んでいるのですぐには来られないと分かっているものの、「もう少し関わってよ」とずっと思っていました。
周囲には「母のサポートは私の役目」として見られるようになっていきます。
「近くに娘さんがいて良かったね」「やっぱり近くにいる娘よね」というように、悪気のないプレッシャーをかける方がいらっしゃって、どんどん私自身が追い詰められてしまいました。
一方、当時の私はシステムエンジニア職についており、納期に追われたり部下のマネジメントをしたり、比較的忙しく働いていました。
土日は母のサポートをし、平日忙しく働いている毎日。介護はまだ大変な状態ではありませんでしたが、いろいろなストレスが蓄積されている状態でした。
私は両立することができないと思い、意を決して当時の上司に「辞めます」というために面談をしてもらいました。
すると上司は、ものすごく簡単に「じゃあ介護休職をとれば?」と言ったのです。
後から話を聞くと、上司はちょうど同じくらいの時期に父親の介護が始まっていたらしく、介護の大変さを理解してくれていたんですね。
「介護のために休職するのではなく、介護がしやすい環境を整えるために休職を検討してはどうか。」と、環境整備のために様々な制度を使用して、色々考えてみるように勧めてくれたのです。
それが私の中でも非常に腑に落ちて、公的なサポートを利用して母の生活基盤を整えようと、3ヵ月の介護休職をとってみることにしました。
介護休暇の当初の予定は、母と相談しながら、元気なうちに入れる施設やデイサービスの利用を検討する3ヵ月間でした。しかし、母の状態が骨折前の入院時と7月の退院時とでは大きく変化していたため、当初の予定通りには進められなくなってしまいました。
当初の予定とは異なってしまったものの、できるだけ色々なサービスを調べてお世話になろうと決めました。
「どうしたら母が気持ちよく過ごせるか」ということに重点を置いていたので、体感としてはあっという間に3ヵ月経ってしまったというのが正直なところです。
そのため、介護休職を延長することにしました。
ケアマネージャーさんに相談をしながら、私が利用していたサービスについてお話します。
■デイサービス
週2回利用していました。
■デイケア(リハビリ)
もともと足が悪かったので、バスが巡回してピックアップしてくれるようなサービスを利用して病院に通院していました。
退院後はバスに乗ることができなくなったので、週1のデイケアに変更しました。
■宅配お弁当
毎日自宅から通っていたこともあって、3食全ての食事を準備することは難しかったので利用していました。
■ヘルパーさんへのお願い
朝1時間だけ来ていただいて、前日に私がまとめた必要な荷物を持たせてデイサービスやデイケアへ送り出してもらうようにしました。
これによって、私自身が朝はゆっくり自宅から実家へ向かうことができましたし、母が寝坊してしまっても確実にデイケアに送り出すことができたので助かりました。
また、デイサービスに行っている時は介護を休める時だったので、夕方くらいまで自由な時間を作れることも非常に良かったかなと思います。
その他に、お掃除やお薬の仕分けなど、ちょっとしたことをお願いするだけでも、私が毎日行わなければならないことが軽減されて良かったです。
■緊急通報システム
福岡市が提供しているシステムで、大きなボタンをポンと押すだけでオペレーターさんに繋がり、「何かありましたか?」と連絡をくれるサービスです。
■介護保険の利用
布団の上げ下ろしで骨折をしたことがあったのでベッドをレンタルしたり(介護用品のレンタル)、玄関前にスロープを作ったり(住居の改修)しました。
■限度額適用・標準負担額減額認定証
■介護保険負担限度額認定証
これらを利用していましたが、この生活をずっと続けるのは難しいと考え、介護休職を延長したタイミングで施設を探し始めました。
3つの手段を用いて施設選びをしましたが、まずは下記のような流れで行っていきました。
①施設の理解
介護付き有料老人ホームや住宅型有料老人ホームなど、施設の種類の理解がありませんでしたので、それらの理解から始めました。
②実際に施設を見学
現在の母に適している施設はどこか考え、集めた情報をもとに見学に行きました。
見学して良いと思ったところは仮申込をします。
ただ、ほぼほぼ「満室です」と言われてしまったり、仮申込できるところでも50人待ち、100人待ちという状況が多かったです。
手段について、更に詳しく話していきます。
1番心強かったのはケアマネージャーさんのご協力です。
在宅介護の時に来てくださるケアマネージャーさんだったので、地域の公的な情報を豊富にお持ちでしたし、実際にその施設がどうなのかという口コミも教えていただきました。
また、毎日母の様子を見て状況を理解してくださり、「この施設の方が合っているかな」「この施設は無理かな」といった情報提供も助かりました。
個人的に1人で動いていたのは、WEBサイトで調べるということです。
WEBサイトに情報を出している施設がありましたので、検索して母の条件に合った施設をいくつか見て比較するということをしていました。
当時は比較するために使っていましたが、現在ではシステムがもっと進化しているようなので、更に有効利用できるのではないかと思います。
相談だけなら無料というところがありましたので、対面でお話を聞きに行きました。
自分では気づかない視点でのアドバイスをいただくことができたと思います。
私が職場復帰をすると施設に伝えると「そういうことならば応援します」と言っていただき、運良くケアハウス型ホームに優先的に入れていただくことができました。
ですが、場所が変わったせいか認知症の状態が少し変わってしまい、ケアハウスが合わなくなってしまいます。
復職してすぐのタイミングで、施設から退所の相談を受けました。
再び施設を探すことになるとは思いませんでしたが、施設に迷惑をかけますし、改めて母に合った場所を探すことに。
この時も、ケアマネージャーさんにフォローしていただきました。
ケアハウスを退所した後、ショートステイを利用できるよう手配していただいたおかげで、次の施設探しを始めることができました。
更に、ケアマネージャーさんがたまたま1人で母のために訪問してくださったグループホームに空きが1つあると探し当ててくださって、結果そちらに入ることになりました。
その後はグループホームにずっといましたが、脳梗塞を発症し、グループホームでの生活が困難になって特別養護老人ホームに移り、最後は病院へ移ります。
私は職場復帰をしていたので、毎週火曜日に面会や病院の付き添いをしつつ、介護短日勤務を利用して介護していました。
脳梗塞が原因で入院になるのですが、その際に認知症の母が「迷惑ばっかりかけてごめんね」と言いました。その後は話せない状態になってしまうのでこれが最後の会話になって、印象深い出来事となっています。
2020年にコロナ禍になり、病院の付き添い以外は会えない状況になってしまいました。
入院中は会えないので、退院している時の通院時だけが会えるという状況です。
私が行っていたことは、コロナ禍前は毎週火曜日の面会や通院の付き添い、コロナ禍以降は病院の付き添いと必要なものを運んだり実家の整理をしたり。そのような状況を経て2022年1月に母は亡くなっています。
介護休職後に無事職場復帰することができましたが、どのような取り組みを通じて復帰に至ったのかについてお話ししたいと思います。
再度施設探しをしなければならなくなるというハプニングがありましたが、今回もケアマネージャーさんにフォローいただきました。
ショートステイに入るようアドバイスいただいたり、ケアマネージャーさん単独で施設訪問して情報収集をしてくださったりしてくださったおかげで、無事に新しい施設に入ることができました。
介護休職中に社内で新しい制度ができていました。それが「介護短日勤務」です。
平日1日をどこかお休みにして介護のためにあてて良いという制度で、利用させていただきました。
定例会議が本来その曜日に行われていたのですが、私が短日勤務を利用することを受けて「曜日を変更しましょう」と言っていただき、理解してもらったことも大変助かりました。
そのお休みの日に、脳梗塞や高血圧、糖尿病などの母の持病の通院予約を集約していました。かなり長い時間になるのですが、その待ち時間が私と母のコミュニケーションの時間で、とても幸せな時間だったなと思っています。
平日にお休みがとれるので、公的な手続きを行うことができるのも良かったです。
実はこの制度、残りの4日間に残業の制限がないのです。そこが短時間勤務とは違います。4日間で頑張ればいいと思いながら仕事をすることができたのも、この制度の良かったところです。
介護を経験して思ったことが3つあります。
1つ目は、自分の周りには支援をしてくれる方や仲間がいっぱいいるなと思えたことです。
職場で介護の話をすると、意外と仲間が多いんです。皆さん言わないだけで実は介護をしているという方が思っているよりも多く、お互い介護仲間だということが分かると、それが介護に関する情報交換へとつながります。
なので、私も自分から介護をしているということを発信するようにしました。
また、実家に通って母の介護をしていたのですが、私が通っていることを知った地元の同級生が「来られない時は私が見てきてあげるよ」とSNSで伝えてくれるなど、声をかけてくれることがありました。ご近所の方も「連絡先を交換しておきましょう」と言ってくれて、見守りに協力的でありがたかったです。
申し訳ないなと思うこともあったのですが、人に頼ることは悪いことじゃないと思える出来事が多かったなと思います。
2つ目は、社内や公共の制度は利用すべきだということを実感しました。
介護に関する制度は、知らないと利用できないので知っておいた方が良いです。
手続きが面倒ではあるのですが、自分も介護をされている母も利用した後の楽さがありましたので、そのことを期待して頑張りました。
何枚契約書を書いたか分からないほどですが、やっぱり利用すべきものだと思います。
最後3つ目は、残念だったこととして後半コロナ禍に入ってしまったので、心残りなことがありました。もっと母との時間が欲しかったですし、最後入院している期間は本当に会えなかったので、自分が何もできないもどかしさを感じた時期でした。
今回のお話はひとつの例でしかありません。介護について何が正解だったか今もわからないです。
ただ、グループホームを退所するときに職員さんからたくさんのお写真をいただいたんです。その写真の中の母がとてもいい笑顔で写っていたんですよ。
それが唯一ではありませんが、私の中で母に施設に入ってもらったことの救いになりました。
サポナビ編集部