
子どもの小学校入学。
そして、親の変化。
仕事、育児、介護が同時に重なる「ダブルケア」は、40代にとって決して珍しいものではありません。
今回は、ダブルケアを5年間経験してきた
中村由香さん(仮名・43歳)にお話を伺いました。
――もともとの働き方について教えてください。

中村さん:
商社で働いていて、海外出張も多い仕事でした。
子どもが小さい頃は本当に綱渡りで。
夫と、電車で1時間ほどの距離に住む両親に頼りながら、なんとか回していました。
出張のときは母に来てもらったり、預けたりして、
「家族の支えで成り立っている」と感じていました。
――転機はいつ頃でしたか。

子どもの小学校入学のタイミングで、海外出張の多い今の働き方は、この先続けられるのか。
転職か、いったん退職するか、考え始めていました。
生活リズムも変わりますし、
最初の1年はしっかり見てあげたいという気持ちもあって。
ちょうど「これからの働き方」を考えていた時期でした。

はい。母の様子に違和感が出てきました。
最初は物忘れというより、
気分の落ち込みや、今までと違う言動でした。
――すぐに受診されたんですか。

いえ、それが難しくて。
母本人に自覚がなかったので、受診までには少し時間がかかりました。
それでも「健康診断だから」と何度も声をかけて、
なんとか専門の病院を受診することができました。
――診断はどうだったのでしょうか。

アルツハイマー型認知症の初期と診断されました。
「まだ元気だと思っていた親に、何が起きているのか」
正直、すぐには受け止めきれませんでした。
――その後、どのような選択をされたのでしょうか。

ちょうど退職を検討していたタイミングだったので、
仕事はいったん離れることにしました。
ただ、もともとは子どもに向き合う時間をつくるつもりでした。
でも実際はそこに母のサポートが加わって、
育児と介護のダブルケアが同時に始まりました。
――今の生活はどのような形ですか。

実家までは電車で1時間くらいです。
週に1〜2回通って、
父のサポートや母の様子を見ています。
父も頑張ってはいるんですが、
やっぱり一人では大変な部分もあって。
できる範囲で支える生活が続いています。
――その時はどんなお気持ちでしたか?

子どもは小学校に入って手がかかる時期で、
母のこともある。
気づけば、その二つで一日が終わっていました。
あるとき、ふと思ったんです。
「自分の人生って、どこにあるんだろう」って。
このままだと、
自分が消えていくような感覚がありました。
――そこから変化のきっかけは何だったのでしょうか。

友人が会社をやっていて、
「少し手伝ってくれない?」と声をかけてくれたんです。
週3回のパートでした。
今の生活の中でできるのか不安もありましたが、
「少しだけなら」と思って始めました。
――実際に働いてみて、どうでしたか。

前より、忙しくはなりました。体力的には疲れるのですが、仕事の時間が息抜きになったことです。
気持ちは前よりも軽いです。
家庭の外に、自分の居場所ができた感覚でした。
――これからについてはどう考えていますか。

今、子どもは5年生になりました。
そろそろ育児も落ち着いてくる頃ですし、
フルタイムでの働き方も検討しています。
以前のような働き方ではなく、
家庭と両立できる形で続けていきたいと思っています。
育児と介護は、どちらも長く続きます。
――最後に、同じような状況の方へメッセージはありますか。

家族のことは大切です。
でも、仕事でも何でもいいと思います。
ご自身が「やりたい」と思えることに使う時間を、少しでも持っていただけたらと思います。
そのことで、もしかしたら気持ちに少しゆとりが出るかもしれません。
室津 瞳(むろつ・ひとみ)
NPO法人こだまの集い代表理事 / 株式会社チェンジウェーブグループ シニアプロフェッショナル / ダブルケアスペシャリスト / 杏林大学保健学部 老年実習指導教員
介護職・看護師として病院・福祉施設での実務経験を経て、令和元年に「NPO法人こだまの集い」を設立。自身の育児・介護・仕事が重なった約8年間のダブルケア経験をもとに、現場の声を社会に届けながら、働きながらケアと向き合える仕組みづくりを進めている。
【編著書】『育児と介護のダブルケア ― 事例からひもとく連携・支援の実際』(中央法規出版)【監修】『1000人の「そこが知りたい!」を集めました 共倒れしない介護』(オレンジページ)【共著】できるケアマネジャーになるために知っておきたい75のこと(メディカル・ケア・サービス)