娘が2歳のころ、筆者の実父は末期がんの宣告を受けました。家族は父の意向を尊重し、在宅で生活を続けることを選びました。筆者は兄、夫、母と連携し、父が悔いなく人生を閉じられるように支えていました。
時折家族でご飯を食べる時間を楽しむこともあり、看取りとしては後悔はありませんでした。
しかし、父を見送って7年が経ったころ、当時幼かった娘が抱えていた別の想いを知ることになりました。大人にとっては「納得のいく看取り」であっても、子どもの心には別の影が落ちていたのだと、後になってわかったのです。
この記事では、父を看取った当時を振り返る機会を得た際、娘が語った言葉をありのままにお届けします。
母:あの頃、おじいちゃんの介護が始まった時、どんなふうに見えていた?
娘:正直ね、10年生きてきた中で一番暗黒の時代だった。
母:そう感じたんだね。どうして?
娘:大好きだったおじいちゃんが遊んでくれなくなったし、お父さんお母さんとも一緒にいる時間が減って…寂しかった。嫌われちゃったのかなって思ったこともあった。
子どもは、親が思っている以上に「寂しさ」や「不安」を受け止めてしまうもの。その気持ちはうまく言葉にできず、心の奥で長く抱え込まれてしまうことがあるのだと気づかされました。
母:おじいちゃんとの思い出で覚えていることはある?
娘:あるよ。金毘羅さんの階段を一緒に登ったこと。上でハグしたのを覚えてる。
母:あの日は、お医者さんから「もう長くない」と言われていた時期だったんだよ。でもおじいちゃん、とても楽しそうだったよね。
娘:うん。私も楽しかった。
実はその背景には、父の「一度でいいから四国に行ってみたい」という願いがありました。余命はわずかと告げられていた時期でしたが、父は自分の足で長い階段を登り切り、孫の手を引く姿まで見せてくれました。
3歳の娘にとっても、祖父と一緒に登り切った達成感は強く刻まれ、今も記憶に残っています。
▲金毘羅さんを登り切った、筆者の父と娘
母:今思うと、おじいちゃんが遊んでくれなくなったのはどうだった?
娘:体力がなくなっただけだったんだよね。嫌われたわけじゃなかった。今は「ずっと大好きでいてくれた」って思える。
母:そう。おじいちゃんはずっとあなたのことが大好きだったし、今もあなたの遺伝子の中で生き続けているんだよ。だから、これからも一緒にいるよ。
娘:うん、そうだね。
当時、娘が「嫌われたのかな」と感じていたなんて想像もしていませんでした。
でも今になってその思いを知り、「おじいちゃんはずっとあなたを大好きだったし、ママも同じだよ」と伝えられたことは大きな意味がありました。知らないうちにできていた小さな心の溝に気づき、言葉で埋めることができたと感じています。
母:同じような経験をしている子どもたちに伝えたいことはある?
娘:うん。「嫌われたんじゃないよ」って言いたい。おじいちゃんやおばあちゃんは、死んでもずっと見守ってくれてるよって。
母:それを聞いた子は、どんな気持ちになると思う?
娘:救われると思う。私もそうだったから。
娘の言葉を聞いて、胸がじんとしました。大人にとっては「最期まで見守れた」という納得があっても、子どもにとっては「嫌われたのでは」という不安が心に残ることがあったのです。
そして、その不安を解きほぐすのは、難しい説明ではなく「ずっと大切に思われている」というシンプルな実感でした。子どもがそのことに気づいたとき、「愛されている」という思いは自信となり、前に進む力になるのだと感じました。
母:親は子どもにどう伝えたらいいと思う?
娘:難しい言葉はいらないよ。認知症なら「忘れちゃう病気」って言えばいいし、心臓の病気なら「ここが悪くなった」って指さして説明してくれたらわかる。
母:絵本で伝えるのはどう?
娘:絵本もいいけど、普通の言葉で「大好きだよ」って伝えてくれるのが一番。1回か2回で十分だと思う。
子どもにとって大切なのは、専門的な説明よりも、わかりやすい言葉や「大好きだよ」という一言。それだけで十分に安心できるのかもしれません。
私自身、父を看取るとき、「娘として」「看護師として」ちゃんとしなければ、という思いがどこかにありました。
その気持ちが強かったぶん、知らないうちに小さな娘にも何かを背負わせていたのかもしれません。
看取りの時間は、親と子がそれぞれ違う景色を見て過ごしているものです。どんなに小さな子どもでも、その子なりの感情があり、感じたことがあります。
それでも――
避けることのできない最期の時間に立ち会えたことは、娘にとっても「命の重み」や「時間の尊さ」を感じる、かけがえのない経験になってくれたのではないかと、今は思っています。
だからこそ、すべてが落ち着いたあと、ふとしたときに子どもの声に耳を傾ける時間をとれたことは、とても意味のある時間になりました。
同じようにダブルケアを経験された方がいたら、いつか、お子さんに声をかけてあげてください。
「あのとき、どう思っていた?」
その一言が、子どもにも親にも、心の中にあった想いをそっと解きほぐすきっかけになるかもしれません。
難しい言葉はいりません。
「寂しかったんだね」「大好きだよ」――
そんな短い言葉だけで、お互いの心がふっと軽くなる瞬間がきっとあります。
看取りに正解はありません。
「もっとできたかもしれない」と感じてしまうことがあるかもしれませんが、そのときの自分にできる、精一杯の選択だったのだと、今は思えます。
たしかに当時、娘は、迷いや寂しさを抱いていたけれども、振り返って父との思い出を語り合うなかで、実は大切に愛されていたことに気付けました。
だからこそ、これから同じような状況を迎える方、あるいは備えようとしている方へ伝えたいのは、「無理に完璧を目指さなくてもいい」ということです。
介護のあり方は一人ひとり違っていていいし、その不完全さの中にも、ちゃんと「愛」は残っていきます。その「愛」があれば、きっと何があっても大丈夫。あなたの大切な人を守ってくれるはずです。
娘も言っていました。「どんなに寂しくても、おじいちゃんやおばあちゃんはずっとあなたを見守っているよって伝えたい。それだけだね。」
日々の中で失われるものがあったとしても、最後に残るのは「愛情の確かさ」。その思いを分かち合えることが、これからを生きる、子どもたちの力に、そしてあなたの力になっていきます。
だから――自分を責めず、無理をせず、今を進んでいただければと思います。
NPO法人こだまの集い代表理事 / 株式会社チェンジウェーブグループ シニアプロフェッショナル / ダブルケアスペシャリスト / 杏林大学保健学部 老年実習指導教員
介護職・看護師として病院・福祉施設での実務経験を経て、令和元年に「NPO法人こだまの集い」を設立。自身の育児・介護・仕事が重なった約8年間のダブルケア経験をもとに、現場の声を社会に届けながら、働きながらケアと向き合える仕組みづくりを進めている。 【編著書】『育児と介護のダブルケア ― 事例からひもとく連携・支援の実際』(中央法規出版)【監修】『1000人の「そこが知りたい!」を集めました 共倒れしない介護』(オレンジページ)【共著】『できるケアマネジャーになるために知っておきたい75のこと』(メディカル・ケア・サービス)介護プロ編集部