2024年5月31日、リクシスは、第17回『全国ビジネスケアラー会議』を開催いたしました。
これから高齢社会がより一層加速し、仕事と介護の両立が当たり前の時代がやってきます。本オンラインセミナーは、高齢化の流れが加速する日本社会において、現役世代として働きつつ、同時にご家族の介護にも携わっている「ビジネスケアラー」の方々とその予備軍となる皆様に向けたセミナーです。
今回のテーマは「介護家族に寄り添う支援サービスの活用法」。
仕事と介護の両立をしなければならない状況は、ある日突然訪れます。
その状況を乗り越えることは、介護のプロにとっても難しく大変に感じるものだったようです。
突然離れて暮らすお母様が倒れてしまったという原さんの体験談とともに、その乗り越え方をご紹介させていただきます。
また、いつやってくるか分からない「その時」に備えて、支援サービスの活用方法についても知っておきましょう。今回は株式会社ツクイの「よりそいコンシェル」をご紹介いたします。
この記事では、
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①介護のプロでさえ感じる、両立の難しさと乗り越え方 ~介護家族に寄り添う支援サービスの活用法~(前編)⇐このページのテーマ
②介護のプロでさえ感じる、両立の難しさと乗り越え方 ~介護家族に寄り添う支援サービスの活用法~(後編)
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原 優実(はら・ゆみ)
株式会社ツクイ リレーションシップ推進本部 執行役員
1996年 株式会社ツクイ 入社後、介護事業部門の事業管理者、エリア長、本部長、介護付有料老人ホームの施設長を経て、2015年より本社人材育成部長、人事部長などを歴任。2019年より執行役員。
2021年にグループ戦略室、2022年にイノベーション推進室を立ち上げ、2023年に広報部門とサステナビリティ推進部門を加え、グループ全体の戦略推進と「よりそいコンシェル」などの新規事業開発のほか、女性活躍推進プロジェクトなど通じた社内外への情報発信にも積極的に取り組み中。
まず初めに私たちの会社についてご説明をさせてください。
「株式会社ツクイ」は介護事業を行っていて、創業してから40年以上経つ会社です。
デイサービスなどの在宅介護サービスを中心に、月約8万人の方にご利用いただいております。日本で1番多くデイサービスをやっている会社ということで覚えていただけると嬉しいです。
私は介護事業に携わって28年になります。訪問入浴から始まって、在宅介護サービスやケアマネジャーなども経験し、長年介護事業に従事してきました。介護には自分なりにしっかり向き合ってきたつもりです。
しかし、約4年半前に両親の介護に直面した時に、最初に出した答えが「退職」だったのです。
これまで介護事業の中でセミナーや研修を行ってきたのですが、そこで「仕事を辞めないでくださいね」と言ってきた身にも関わらず、退職届を出すという選択をしてしまいました。
その選択をしてしまった時から、現在ビジネスケアラーとして仕事と介護の両立を進行中という状態に至るまでの過程を、皆さんと一緒に共有できたらと思っています。
<現在の原家>
2020年1月頃、まだ介護が始まる前のことです。
母の歩行がおぼつかなくなったり、父の物忘れが多くなったりということに気づいてはいたのですが、何よりも自分自身の体がきつくて自分のことで精一杯でした。
7月になり突然母から電話がかかってきます。
「もうお父さんとはやっていけない」というグチのような電話で、その時はあまり本気にして捉えずにいました。
しかし、次の日にかかってきた電話では母のろれつが回っていないため、出社を遅らせて急ぎ実家に。母はそのまま緊急搬送で10日間の入院となりました。
母が入院することになった後、父と母の生活を目の当たりにすることになります。
父の認知症が思っていたよりもかなり進行していたのです。
後から母に聞いた話ですが、かなり前から父のことを「どうしよう」と思っていたとのことでした。でも、私が仕事をしていることや、体調不良を抱えていることを知っていた母は、自分の悩みや不安を話して気を遣わせてはいけないと思っていたそうです。
介護従事者として働いてきてそういった事例はいくつも見てきたにも関わらず、自分の家族のことに気付けなかったということを情けなく思いました。それと同時に申し訳ないなとも思いました。
しかし、介護従事者だったからこそ、そこからの事務的な手続きは早く行うことができたと思っています。ここは少し一般の方と違うところかもしれません。
もし知識がなかったらここでまずつまずいてしまうだろうと思うくらい、たくさんの書類を書かなければならなかったし、親のこともしっかり把握していなければなりませんでした。
もうひとつ恵まれていたなと思うことは、仕事をちょうどテレワークに切り替えることができていたということです。
両親ともに介護サービスに強い拒否反応があったこと、そして自分が介護をある程度できるということもあり、自宅での介護は私1人で行うことになりました。
しかし、自分自身の体調が悪い状況が続いていたこともあり、1ヶ月で10kgも体重が落ちてしまうほど追い詰められてしまったのです。
ここで実感したのは仕事の生産性の低下でした。
周りに何か言われたわけではありません。ですが、常に親のことが頭から離れず、何かを判断しなければならない時に適切な答えを出していないような気がしていました。
それが自分でもっとも嫌なことでした。個人的なことで周りに迷惑をかけていると思い、退職を決断したのです。
現在の社長である当時の上司に、その時の自分の状況を素直に話し、退職届を出しました。その時に上司に言われた言葉を、私は今も大切に思っています。
「きついことを言っているかもしれないけど、原さんがここで辞めたら、これまで会社がやってきたことは何だったのかということになるよ。今本当に辞めなければならないと思っているのであれば、会社としてもそこを考えていく必要がある。辛いかもしれないけれど、一緒に考えようよ」
と言って、退職を止めてくれたのです。
その時の仲間にも同じことを伝えました。周りも「それはしょうがない。いったん私たちに任せてください。今はご両親のことに集中してください」と言ってくれたので、それも心の支えになりました。
退職をしようと思うのは、介護のスタートの時に思うことが多いかと思います。
介護が始まるとこれまでの自分のペースを保てなくなり、選択肢として「身軽になろう」と思って仕事を辞めようと思ってしまうのです。
ですが、介護とは状況が変わっていきます。
それは悪くなることばかりではなく、好転することもあるのです。
なので、最初に決断するのではなく、まずは周りに話してみることが大切かと思います。私自身も退職の話をするまでは相談することができなかったのでなかなか難しいことかと思うのですが、勇気を持って共有してみてください。
2020年10月から、母だけは週に1回デイサービスに通うようになりました。父は相変わらずでしたが、母だけでも介護サービスを受け入れてくれたということで、少し安心することができました。
しかし、2021年はもう二度と戻りたくない1年になります。
父の認知の低下が進みパニックになることが増えると、それを受け入れることができない母が1日に5回以上、昼夜問わずに電話をしてくるようになりました。その度に私は実家に戻り、家に帰ったと思えば電話が鳴るというような日々で、ついに母に暴言を吐いてしまうのです。
「あなたたちの介護のために、私の人生がむちゃくちゃになる」と言ってしまい、後からすごく反省いたしました。ただ、その時は打ち明けることでしか発散することができませんでした。
この頃から「一緒に住んだ方がいいのだろうか」と考え始めることになります。
少し状況が落ち着いてきたかなという2022年8月、母がお風呂場で転倒し骨折をしてしまいます。
ここから介護という状況が一気にぐっと深くなりました。
完全に入浴介助をすることになり、食事も介助をすることが増えました。
できればヘルパーさんに入ってほしいと思っていましたが、なかなかそこを受け入れてくれなかったのです。
11月に入り骨折は良くなったのですが、実はあまり行きたくなかったとのことで、これまで通っていたデイサービスに行かなくなってしまいました。
介護サービスを一切使わなくなってしまったので、やっぱり同居した方がいいのかと考えるようになっていきます。
しかし、介護のプロたちに「今の原さんの状況では同居をしない方がいい」と止めてもらい、同居には至りませんでした。
もちろん、同居をすることが良くないということではありません。その時の私の状況などから判断してもらったことです。
別居をすることで自分の時間を作ることができます。
両親が住んでいる場所まで車で30分ほどなのですが、その時間がリセットの時間になっているということもあり、別居をしながら介護をすることもできるのではないかと思っています。
ただ、これについては正解がなく、今も揺れていることではあります。本人の素質や気持ち、状況によっても大きく変わるでしょう。
⇒「介護のプロでさえ感じる、両立の難しさと乗り越え方 ~介護家族に寄り添う支援サービスの活用法~(後編)」につづく
サポナビ編集部