出版社でフルタイム勤務を続けながら、小学生の子どもを育て、がんと診断された実父と体調を崩した母の介護に直面した山本さん。
夫婦で立場を入れ替えたり、家族で役割を持ち寄ったりしながら、日々をなんとか回してきたと言います。
その等身大の姿には、「抱え込まないケア」のヒントが詰まっていました。
室津瞳(以下、室津):
山本さん、最初からご夫婦の役割分担はうまくいっていたのでしょうか?
山本久美(以下、山本):
いえ、全然ダメでした(笑)。新婚の頃は家事のやり方も生活の価値観も違って、何度もぶつかってきました。私は「きちんと分けたい」と思っていたけど、夫はどこかのんびり構えていて。話し合いというよりは、もう言い合いばかりでしたね。
室津:
「チームでケアを」とよく言いますが、現実はそんなに綺麗にいかないですよね。
山本:
本当に。正解がわからない中で、「私ばっかり」って思うことが多くて。でも、喧嘩することでお互いの「何がつらいのか」は少しずつ見えていった気がします。
室津:
転機になった出来事があれば教えてください。
山本:
第一子が生まれた頃ですね。当時、夫はシステムエンジニアとして働いていて、連日終電を逃し、タクシーで帰ってくるような多忙な日々を送っていました。それでも赤ちゃんの夜泣きに応じてくれて、本当に頑張ってくれていたんです。
室津:
それは心身ともにかなりの負荷だったのでは?
山本:
そうなんです。夫は育休を取りたいと考えて、会社にも申請を出しました。でも、「うちの会社では前例がない」と言われて、結局通らなかったんです。そういう中でも育児には関わろうとしてくれていたけど、ある日、車を運転していて「右に曲がるって、どっちだっけ?」と咄嗟に判断ができなくなったそうで……。
室津:
それは危険なサインでしたね。
山本:
はい、これはまずいと本人が気づいて、病院を受診した結果、「軽いうつ病」と診断されました。そこから、私が仕事を続けるために夫が専業主夫となり、家庭の体制が大きく変わりました。立場が変わってみて、初めて見えることがたくさんあって……。「相手のしんどさに気づく」って、頭ではわかっていても、体験しないと本当には理解できなかったと痛感しました。
室津:
その後、介護が始まってからはどう変化しましたか?
山本:
父が健康診断で血糖値の異常を指摘されて、精密検査を受けたら「すい臓がん」だとわかりました。症状もまったく出ていなかったのに、いきなり「余命一年」と宣告されて……。その後、父のケアを担っていた母までもが体調を崩して、入院することになったんです。
室津:
介護の中心を担う存在が不在になる状況は、本当に深刻ですね。
山本:
妙に冷静になっていたというか……次に何をすべきか、必死に判断し続けていた感覚でした。「誰かが一人で抱えていたら、みんなが潰れてしまう」。そう強く感じて、これはもうプロジェクトチームのように体制を組まないと無理だと割り切ったんです。
室津:
具体的には、どのように分担を進めたのでしょうか?
山本:
家族で話し合って、「それぞれが何ならできるか」を出し合いました。私は日々の仕事でマネジメントをする場面が多いので、「介護サービスや医療者とのやり取りは私がやるね」と伝えました。夫には「車を出してもらえると助かる」、兄には「長男なので、お金や契約関係はお願いできる?」と。お互いに無理のない範囲で、でも明確に、役割を提案し合いました。
室津:
“強み”を活かしながら、適切に整理されたんですね。
山本:
はい。頼みごとは、さりげない会話の中で具体的に提案するようにしていました。介護って短期戦ではないですし、一時的な頑張りでは乗り越えられない。だからこそ、感情よりも「持続可能な体制づくり」が何より大事だと思ったんです。
室津:
情報共有の工夫などもされていましたか?
山本:
LINEで家族グループを作って、通院日や父母の状況などを共有しました。誰かに情報が偏ると、負担も偏るので。情報を“見える化”するだけで、安心感も連携のしやすさも全然違ってきます。
室津:
夫婦の関係性が深まったのは、やはり日々の対話でしょうか?
山本:
実は私は、もともと衝突をできれば避けたいタイプなんです。でも、夫は「きちんと話そう」「ぶつかってでも理解したい」という人で。だから最初の頃は、議論になると疲れてしまうこともありました。でも、今思えば、その姿勢に何度も救われた気がします。
室津:
ぶつかってでも対話しようとする、その繰り返しが今につながっているんですね。
山本:
はい。子どもがいたことも大きかったと思います。よく“子は鎹(かすがい)”と言いますけど、あれは本当で。加えて、育児と仕事の立場を一時的に逆転してみたことも、お互いの大変さを知るきっかけになりました。家を守る大変さも、家計を支えるプレッシャーも、実際にやってみて初めて実感できた。その積み重ねが、ちゃんと話し合える土壌をつくってくれたんだと思います。
室津:
今、振り返って「分担」とは何だと思いますか?
山本:
分担って、“平等に割る”ことではなくて、“倒れたときに支え合えるような準備をしておくこと”だと感じています。でも、それは最初からあるものではなくて、日々の葛藤やぶつかり合いの中で、少しずつ築いてきたものです。信じる気持ちって、時間をかけて積み上げていくしかないんですよね。
室津:
できる人ができることをする。一人に負担が集中しないようにする。属人化させない体制づくり――今、家族の在り方に求められているのは、まさにそういう工夫なのかもしれませんね。
山本:
本当にそう思います。家庭の形って、話し合えば少しずつ変えられる。だからこそ「一緒に考える」ことを、これからも大事にしていきたいと思っています。
衝突を避けたい気持ちと、ぶつかりながら築く信頼。山本さんの言葉からは、どちらも本音であることが伝わってきました。ケアを「分け合う」には、まず気持ちを言葉にすることから――そんな勇気をもらえた時間でした。
NPO法人こだまの集い代表理事 / 株式会社チェンジウェーブグループ シニアプロフェッショナル / ダブルケアスペシャリスト / 杏林大学保健学部 老年実習指導教員
介護職・看護師として病院・福祉施設での実務経験を経て、令和元年に「NPO法人こだまの集い」を設立。自身の育児・介護・仕事が重なった約8年間のダブルケア経験をもとに、現場の声を社会に届けながら、働きながらケアと向き合える仕組みづくりを進めている。
【編著書】『育児と介護のダブルケア ― 事例からひもとく連携・支援の実際』(中央法規出版)【監修】『1000人の「そこが知りたい!」を集めました 共倒れしない介護』(オレンジページ)
介護プロ編集部