
「認知症の親に対して、どうしても優しくなれない」
「さっき言ったことを忘れる母に、つい怒鳴ってしまう」
「優しくしなければと思うほど、自己嫌悪に陥る」
もしあなたが今、このような苦しみの中にいるなら、それはあなたが「冷たい人間」だからではありません。むしろ、家族を大切に思っているからこそ陥る、「介護家族特有の心理プロセス」の真っ只中にいるからです。
この記事では、認知症介護の第一人者である杉山孝博医師が提唱する「認知症の方の家族がたどる4つの心理的ステップ」に基づき、なぜ家族は「正しい対応」ができないのか、どうすれば心が楽になるのかを、徹底的に解説します。
出典:杉山孝博『杉山孝博Dr.の「認知症の理解と援助」』2007年初版
まず、「認知症 対応」と検索すると出てくる「正解」を見てみましょう。
これらは、プロの介護職であれば実践すべき「教科書的な正解」です。しかし、24時間365日生活を共にする家族にとって、これを完璧にこなすことは「プロでも難しい」ことです。
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最大の理由は「家族だからこそ」です。
介護する家族の心は、最初から「受容」にあるわけではありません。誰もが苦しみ、葛藤しながら、以下の4つのステップを経ていきます。
現在のあなたがどの段階にいるかを確認してみてください。
| ステップ | 名称 | 心理状態・特徴 | 家族の心の声(例) |
| 第1段階 | とまどい・否定 | 普通ではない言動に戸惑い、事実を認められない。 | 「何か変だが、年のせいだろう」「あんなにしっかりしてたのに、どうしてこんな簡単なことがわからないのか」 |
| 第2段階 | 混乱・怒り・拒絶 | どう対応していいか分からずパニックになる。怒りや拒絶感が湧く。 | 「いい加減にして!」「どうしてわかってくれないの」 |
| 第3段階 | 割り切り・あきらめ | 怒っても無駄だと悟り、感情的な距離を取り始める。 | 「病気だから仕方ない」「はいはい、と言っておこう」 |
| 第4段階 | 受容 | 本人のあるがままを受け入れ、共生する覚悟ができる。 | 「これが今のこの人なんだ」「穏やかに過ごしたい」 |
「まさか、うちの親に限って」
初期段階では、家族は本人の変化に気づきつつも、それを認めたくない心理(否認)が働きます。
この時期は診断が遅れがちですが、「認めたくない」という心の防衛反応としては自然なことです。
「毎日が地獄のよう。もう限界」
症状が進行し、日常生活に支障が出始めると、家族は最も苦しい時期を迎えます。これまでの常識が通じず、論理的な説得も意味をなさないため、精神的に追い詰められます。
今あなたが辛いのは、この「第2段階」にいるからかもしれません。「優しくできない」のはあなたの性格のせいではなく、誰もが通る「混乱期」にいるからに過ぎないのです。
「怒るだけエネルギーの無駄」
壮絶な混乱期を経て、家族は学習します。「真正面から向き合って説得しようとしても、数分後には忘れられてしまうから、仕方ない」という事実に気づくのです。これを「あきらめ」や「割り切り」と呼びます。
冷たいようにも見えますが、これは自分の心を守るための「心理的な盾」を獲得した状態です。
「あるがままの姿でいい」
割り切りの期間を経て、本人の病状への理解が深まると、最終的な「受容」に至ります。
この4つのステップについては、重要なポイントがあります。それは、「本人の状態の変化に伴って各段階を行きつ戻りつしながら受け入れていくことになる」ということです。
認知症は進行性の病気です。「一度受容まで行けばゴール」と一筋縄にはいかないこともあります。
「やっと物忘れを受け入れられた(受容)」と思ったら、次に「徘徊」や「失禁」が始まるかもしれません。新しい症状が出るたびに、家族はまた「とまどい(ステップ1)」や「混乱(ステップ2)」に戻ることになります。
そう自分を責める必要はありません。行ったり来たりを繰り返しながら、少しずつ螺旋階段を登るように受容への道を歩んでいる。それがリアルなあり方なのです。
最もつらい「混乱・拒絶」の段階にいる方が、少しでも早く「割り切り」の段階へ進むための具体的なテクニックを5つ紹介します。
介護のつらさを軽くするために、もう一つ欠かせないのが認知症への正しい理解です。
認知症の方の言動は、ときに「わざと困らせている」「性格が悪くなった」ほどに思えることもあります。しかし、その多くは脳の機能障害によって起きている症状であり、本人の意思や努力の問題ではありません。
この視点を持てるようになると、「どうしてこんなことをするの?」という怒りが、「そういう症状なんだ」という理解へと、少しずつ変化していきます。
ここで重要なのは、正しく知ることは、理想的な対応を身につけるためではないということです。
それはあくまでも、自分を追い詰めないために思考を変化させるための知識です。
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家族として接すると、どうしても感情がぶつかります。そこで、意図的に役割を演じます。
相手が理不尽なことを言っても、「お母さん!」と怒るのではなく、「あらお客様、さようでございますか」と心の中で役になりきることで、感情のスイッチを切る(割り切る)練習になります。
それでも「うまくいかない」と感じるときはあるでしょう。ですが、それでも良いのです。常に「優しくする」「自尊心を守る」などの理想は、一旦脇に置いておきましょう。
これだけで100点満点です。「死なせない、怪我させない」程度の目標(60点)で良しとしましょう。
家族だけで抱え込むと、ステップ2から抜け出すことはより困難になります。
上手にサービス活用し、「物理的に離れる時間」を作ることは、最も効果的です。プロの手を借りることは「手抜き」ではなく、あなたの心に余裕を取り戻すための「必要経費」でもあります。
介護家族が最も追い詰められるのは、一人で抱え込んでいるときです。周囲に相談しても、「大変だけど、親なんだから」「もっと優しくしてあげて」。そんな言葉に、かえって傷つくことも少なくありません。
だからこそ、同じ立場の人とつながることが大切です。
認知症の介護経験者が集まる場では、
「怒鳴ってしまった」
「逃げ出したくなった」
そんな本音を、否定されずに受け止めてもらえます。
「自分だけじゃなかった」「みんな、同じところで苦しんでいる」
そう気づけた瞬間、張りつめていた心が少し緩みます。孤独が和らぐと、不思議と本人にも優しくなれる余裕が生まれるはずです。
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怒鳴ってしまうのは、あなたが「第2段階(混乱・拒絶)」にいる正常な反応です。
自分を責めると余計にストレスが溜まります。「今はそういう時期なんだ」と客観視し、物理的に距離を取る(トイレにこもる、別室に行く)などのクールダウンを試みてください。
「自分の感情を守るための手段」かどうかの違いです。
無視や放置は虐待につながりますが、「割り切り」は、不毛な論争を避けて、お互いが穏やかに過ごすための知恵です。「まともに取り合わない」ことは、結果として本人の混乱を防ぐ優しさにもなります。
個人差がありますが、完全に受容できる人は少ないかもしれません。
多くの人が「割り切り」と「混乱」を行き来しながら過ごします。完全に受容できなくても、「今はちょっと余裕があるな」という時間を増やしていければ十分です。
認知症介護において、画像にあるような「望ましい対応」を常に実践できる家族はいません。
「4つの心理的ステップ」を知る最大のメリットは、「今の自分の苦しみが、プロセスの途中にあるものだと理解できること」です。
そうやって客観的に自分の現在地を確認していくと、出口のないトンネルに明かりが見えるはずです。
どうか「理想的な対応」にとらわれすぎず、あなた自身の心を守ることを最優先にしてください。あなたはもう十分に、頑張っているのですから。
岩瀬 良子(いわせ・りょうこ)
介護支援専門員(ケアマネジャー)/介護福祉士
京都大学卒業。病院・施設・在宅など多様な現場に従事し、英国ホスピス視察などを経て「地域ケア」と「納得のいく看取り」を探求・実践する。
現在はその知見を活かし、「仕事と介護の両立」に関する個別相談やQ&A対応、専門記事の編集を担当。現場のリアリティと専門知識に基づいた、正確で温かみのある情報発信を行っている。
【執筆協力】中央法規出版『生活援助従事者研修 公式テキスト』