
「認知症の介護は大変だ」という話を誰もが耳にしたことがあるでしょう。身体的な介護の負担、24時間見守りが必要なことによる睡眠不足、徘徊や妄想といった対応の難しさ……確かに、これらは大きな苦労です。
しかし、多くの家族介護者が口にするのは、「身体的な疲れよりも、精神的に疲れる」という言葉です。
では、その「心のつらさ」の正体とは一体何でしょうか?
それは、目の前にいるのは自分がよく知っている人のはずなのに、まるでその人が自分から離れていくような、「さようならのない別れ」を経験し続けることにあります。
この記事では、この特別な悲しみ、すなわち「あいまいな喪失」という概念を通して、認知症の介護が家族にとってなぜつらいのか、その本質を解き明かします。
一般的な「喪失(loss)」には、悲しみに区切りをつけ、前に進むためのプロセスがあります。
しかし、特定の状況下では、別れが曖昧なまま宙ぶらりんになり、決して解決することも、区切りをつけることもできない状態が続くことがあります。これを「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」と呼びます。
この概念を提唱したのは、ミネソタ大学家族社会学の名誉教授であるPauline Boss博士です。Boss博士は、この喪失を以下のように定義しています。
「はっきりしないまま残り、解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験」
Boss博士は、あいまいな喪失をその状態によって二つのタイプに分類しました。
(参考サイト)あいまいな喪失情報サイト
認知症は、前述のタイプのうち、タイプ2の「別れのないさようなら」に該当します。
それは、認知症の進行が、記憶や人格、そして長年築いてきた「関係性の柱」を、時間をかけて少しずつ崩していくからです。
介護者は、目の前の家族と接していますが、病気が進むにつれて、心理的な存在は徐々に失われていきます。たとえば、以下のようなときに、今までの関係とは違う違和感が伴います。
身体はそこにいます。しかし、自分の知っている「あの人」は、もういない。
この「いる」という現実と、「いない」という喪失感が同時に存在する矛盾が、認知症介護のつらさの核心にあります。
「あいまいな喪失」のつらさは、明確な喪失と異なり、「心の区切り」をつけられないことにあります。その心の区切りを困難にする要素は、以下の3つに分解することができます。
死別のような区切りがないため、「いつまでこの状態が続くのか」という不確実性が続きます。これにより、悲嘆が慢性化し、介護者は常に心の緊張状態から解放されにくくなります。
介護の困難さや病気の進行を前にすると、人生を自分でコントロールできる感覚が極端に失われ、将来への希望が見通せない苦しみにつながります。
ふとした瞬間に昔の家族の姿が戻る「希望」と、すぐに現実の症状に引き戻される「絶望」の波が、介護者の心を揺さぶることがあります。
では、このような状況を乗り越えるために、何ができるでしょうか。
心の負担を軽くするための4つのヒントを以下に紹介します。
悲しみや喪失感を心の奥に押し込めず、つらい状況に「あいまいな喪失」という名前をつけ、何が失われたのかを具体的に言葉にしてみてください。
このように失われた部分に対して「さようなら」をすることは、感情を整理するための大切な作業です。
介護に伴う怒りや罪悪感、戸惑いなどマイナスの感情は、以前のその人の姿を知っているからこそ、一層強く生じるものです。そのため、家族として心が疲れるのは、当たり前のことなのです。
全ての原因は、自分や家族ではなく「あいまいな喪失」のために起こっていることを心に留めましょう。
記憶や言葉が失われても、「感情」や「触れ合い」は残ります。
失われたものではなく、「今、この瞬間にまだ繋がっているもの」を意識的に見つめてみてください。
介護サービスに頼ることは、決して「親を捨てる」行為ではありません。それは、介護者自身が心を休ませ、再び関係性を作り直すための「権利」です。
積極的に専門家と繋がり、家族としての気持ちを吐き出す場や、介護から距離を取る時間を持ちましょう。
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認知症の介護がつらいと言われるのは、自分がよく知っている人のはずなのに、心理的に離れていく「さようならのない別れ」を経験し続けるからです。
しかし、失われたものを明確にして少しずつ手放し、残された部分に目を向けることで、この困難を乗り越える道は開けます。
この「あいまいな喪失」という概念を知っておくだけで、あなたの心の負担を軽減する力となるはずです。
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介護支援専門員(ケアマネジャー)・介護福祉士
京都大学卒業後、介護福祉士として、介護老人保健施設・小規模多機能型居宅介護・訪問介護(ヘルパー)の現場に従事。その後、育休中に取得した介護支援専門員の資格を活かし、居宅ケアマネジャーのキャリアを積む。「地域ぐるみの介護」と「納得のいく看取り」を志している。