認知症はなぜつらい?「さようならのない別れ」と心のつらさの正体

認知症はなぜつらい?「さようならのない別れ」と心のつらさの正体

1. 認知症介護の「心のつらさ」の正体

「認知症の介護は大変だ」という話を誰もが耳にしたことがあるでしょう。身体的な介護の負担、24時間見守りが必要なことによる睡眠不足、徘徊や妄想といった対応の難しさ……確かに、これらは大きな苦労です。

しかし、多くの家族介護者が口にするのは、「身体的な疲れよりも、精神的に疲れる」という言葉です。

では、その「心のつらさ」の正体とは一体何でしょうか?

それは、目の前にいるのは自分がよく知っている人のはずなのに、まるでその人が自分から離れていくような、「さようならのない別れ」を経験し続けることにあります。

 

この記事では、この特別な悲しみ、すなわち「あいまいな喪失」という概念を通して、認知症の介護が家族にとってなぜつらいのか、その本質を解き明かします。

 

2. 「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」とは

一般的な「喪失(loss)」には、悲しみに区切りをつけ、前に進むためのプロセスがあります。

しかし、特定の状況下では、別れが曖昧なまま宙ぶらりんになり、決して解決することも、区切りをつけることもできない状態が続くことがあります。これを「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」と呼びます

この概念を提唱したのは、ミネソタ大学家族社会学の名誉教授であるPauline Boss博士です。Boss博士は、この喪失を以下のように定義しています。

「はっきりしないまま残り、解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験」

 

あいまいな喪失の2つのタイプ

Boss博士は、あいまいな喪失をその状態によって二つのタイプに分類しました。

  • タイプ1:さようならのない「別れ」(Leaving without Goodbye) 身体的には不在であるにもかかわらず、その存在が確定しないために、心理的には存在し続けている状態。
    • 例:行方不明、連絡の取れない失踪。
  • タイプ2:別れのない「さようなら」(Goodbye without Leaving) 身体的には存在しているけれども、その人が以前のその人とはすっかり変わってしまい、心理的には不在と感じられる喪失。
    • 例:認知症、重度の精神疾患、頭部外傷後の意識障害など。

 

(参考サイト)あいまいな喪失情報サイト

 

3. 認知症が引き起こす「別れのないさようなら」

認知症は、前述のタイプのうち、タイプ2の「別れのないさようなら」に該当します。

それは、認知症の進行が、記憶や人格、そして長年築いてきた「関係性の柱」を、時間をかけて少しずつ崩していくからです。

 

「いる」のに、「いない」という矛盾

介護者は、目の前の家族と接していますが、病気が進むにつれて、心理的な存在は徐々に失われていきます。たとえば、以下のようなときに、今までの関係とは違う違和感が伴います。

  • 認識できなくなる: 長年連れ添った配偶者を「誰だか分からない」と見つめられる。
  • 記憶が失われる: 二人だけの思い出を話しても、相手にその記憶がない。
  • 役割が果たせない: 夫婦や親子の役割が失われ、一方的に介護されるだけの存在になってしまう。

 

身体はそこにいます。しかし、自分の知っている「あの人」は、もういない。

この「いる」という現実と、「いない」という喪失感が同時に存在する矛盾が、認知症介護のつらさの核心にあります。

 

4. なぜ「心の区切り」がつけられないのか

「あいまいな喪失」のつらさは、明確な喪失と異なり、「心の区切り」をつけられないことにあります。その心の区切りを困難にする要素は、以下の3つに分解することができます。

 

終わりの見えない悲しみが続く

死別のような区切りがないため、「いつまでこの状態が続くのか」という不確実性が続きます。これにより、悲嘆が慢性化し、介護者は常に心の緊張状態から解放されにくくなります。

 

コントロール感覚の喪失

介護の困難さや病気の進行を前にすると、人生を自分でコントロールできる感覚が極端に失われ、将来への希望が見通せない苦しみにつながります。

 

希望と絶望の往復

ふとした瞬間に昔の家族の姿が戻る「希望」と、すぐに現実の症状に引き戻される「絶望」の波が、介護者の心を揺さぶることがあります。

 

5. 「あいまいな喪失」を抱えて生きるために

では、このような状況を乗り越えるために、何ができるでしょうか。

心の負担を軽くするための4つのヒントを以下に紹介します。

 

① 何が失われたかを言葉にする

悲しみや喪失感を心の奥に押し込めず、つらい状況に「あいまいな喪失」という名前をつけ、何が失われたのかを具体的に言葉にしてみてください。

  • 「もう以前のように二人で旅行はできない」
  • 「母の私に対する役割は、失われてしまった」

このように失われた部分に対して「さようなら」をすることは、感情を整理するための大切な作業です。

 

② 複雑な感情を認める

介護に伴う怒りや罪悪感、戸惑いなどマイナスの感情は、以前のその人の姿を知っているからこそ、一層強く生じるものです。そのため、家族として心が疲れるのは、当たり前のことなのです。

全ての原因は、自分や家族ではなく「あいまいな喪失」のために起こっていることを心に留めましょう。

 

③ 「まだ残っているもの」に焦点を当てる

記憶や言葉が失われても、「感情」や「触れ合い」は残ります。

  • 温かい手を握る。
  • 心地よい音楽をかける。
  • 穏やかな表情で接する。

失われたものではなく、「今、この瞬間にまだ繋がっているもの」を意識的に見つめてみてください。

 

④ 助けを「権利」として使う

介護サービスに頼ることは、決して「親を捨てる」行為ではありません。それは、介護者自身が心を休ませ、再び関係性を作り直すための「権利」です。

積極的に専門家と繋がり、家族としての気持ちを吐き出す場や、介護から距離を取る時間を持ちましょう。

 

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介護で衝突してしまうときの距離感や気持ちの持ち方について教えてください。

 

6. まとめ:つらさの原因を知ることで心の負担は軽くなる

認知症の介護がつらいと言われるのは、自分がよく知っている人のはずなのに、心理的に離れていく「さようならのない別れ」を経験し続けるからです。

しかし、失われたものを明確にして少しずつ手放し、残された部分に目を向けることで、この困難を乗り越える道は開けます。

この「あいまいな喪失」という概念を知っておくだけで、あなたの心の負担を軽減する力となるはずです。

 

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この記事を書いた人

岩瀬 良子(いわせ・りょうこ)

介護支援専門員(ケアマネジャー)・介護福祉士

京都大学卒業後、介護福祉士として、介護老人保健施設・小規模多機能型居宅介護・訪問介護(ヘルパー)の現場に従事。その後、育休中に取得した介護支援専門員の資格を活かし、居宅ケアマネジャーのキャリアを積む。「地域ぐるみの介護」と「納得のいく看取り」を志している。

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