
【この記事のポイント】
仕事と介護の両立で壁にぶつかったとき、「自分の要領が悪いからだ」「もっと効率よく動かなければ」と、個人の段取りや能力に原因を求めてしまうことは少なくありません。
しかし、うまくいかない本当の原因は、個人の資質や努力不足にあるのではありません。
実は、その苦労の正体は、個人の頑張りとは無関係な「構造的な要因」なのです。
私がこれまで担当した累計2,000件以上のご相談からは、ある事実が見えてきました。
「介護疲れ」や「時間がない」といった、日々のケアそのもので悩んでいるケースよりも、「親が話を聞いてくれない」「何から手をつければいいかわからない」「家族で意見が合わない」といった、介護が始まる手前や介護以外の問題で立ち止まっているケースが圧倒的に多いのです。
実際、直近の100件程度の相談内容を集計すると、9割以上が、実稼働の問題ではなく、その手前で止まっていました。
【参考リンク】「そろそろ動かなきゃ」と、分かっていても踏み出せない 介護前の不安 ── 400名の声に共通する、動き出せない3つの理由
家族の介護は、大きく以下の2つの要素で成り立っています。
多くの人は、2の「体制づくり」ができていない状態で、いきなり1の「実稼働」について考え、解決したくなります。
たいていの場合うまく進まず立ち止まってしまいますが、もしそのまま行動に移してしまうと、親と話をせず介護サービスを頼んだり、他の家族と役割分担を決めずに一人で通い始めたりしてしまうかもしれません。
これでは、足場がない場所で重い荷物を持とうとするようなもので、すぐに限界が来てしまいます。
多くのご家族がここで躓いている通り、本当に難しいのは「介護そのもの」ではなく、この「体制づくり」なのです。
では、なぜこの体制を作ることがこれほど難しいのか。その「3つの構造的理由」について解説します。
一つ目の理由は、「物事を決める時のルール」が普段と違うことです。
大前提として、介護は「親本人の生活」の話です。
サービスを受けるのも、費用を負担するのも、基本的には親本人です。
本来であれば、本人が自分の意思で決め、自分のお金で支払うべきものです。
しかし、介護が必要になる時期というのは、高齢により本人の判断能力が低下していたり、意思決定が難しくなっていたりする、非常に微妙なタイミングでもあります。
「本人の意思を尊重したいが、安全のためには介入が必要」というジレンマの中で、以下のような関係者との調整が必要になります。
例えるなら、「組織(親)の予算を使って、他部署と調整しながら進めるプロジェクト」に似ています。
普段の自分の買い物なら、自分の財布と相談して好き嫌いで即決できますが、このプロジェクトではそうはいきません。実務担当が社長を飛び越えて鶴の一声で決めるわけにはいかないのと同じです。
もちろん、ご家庭によって、あるいはタイミングによっては、自分に決定権があるという方もいるとは思います。
しかし、多くの場合子世代に求められるのは、決定者ではなく、本人の意思や状況を汲み取りながら、みんなの意見を調整する「つなぎ役」としての動きです。
それなのに、「親のことだから自分が責任を持って決めなければ」と一人で抱え込んでしまうと、権限がないのに責任だけを負うことになり、どうしても無理が出てしまいます。
一人で決められないのは、能力の問題ではなく、そもそも一人ではハンコが押せない構造になっているからです。
二つ目の理由は、「立場による迷い」です。
仕事では、売上、利益、コストといった計測可能な基準で判断することが優先されます。しかし、相手が「家族」になった途端、その基準だけでは割り切れなくなります。
介護の場面では、一人の人間の中に、相反する「いくつかの顔」が同時に出てくるのが問題です。
など。人によっては他にもあるでしょう。
例えば、「家に一人だと危ないから、施設の方が安心だ」と頭ではわかっていても、「家族としては、家にいたい親の気持ちを尊重したい」という感情も捨てきれず、判断が止まってしまうことがあります。
これは優柔不断だからではありません。家族を思う気持ちが悪いわけでもありません。
「理屈」と「感情」が同時に引っ張り合いをするため、誰であっても冷静な判断が難しくなるのです。迷ってしまうのは、それだけ家族を大切に思っている証拠でもあります。
個人の精神力でどうにかしようとするのではなく、「そういう迷いやすい状態に置かれている」と知っておくことが大切です。
【参考リンク】なぜ「仕事がデキる」人ほど、介護で苦しくなるのか? ― 仕事と介護の両立に必要なのは思考法ではなく「余白」
三つ目の理由は、「自分にとっての正解(お手本)が存在しない」ことです。
介護は、多くの人にとって初めて学ぶ未知の分野です。
通常、新しい分野を勉強するときには、「教科書」や「マニュアル」といった「お手本」があります。
基礎から順番に学び、テキスト通りに進めれば、ある程度の正解にたどり着くことができます。
しかし、介護にはその「お手本」がありません。
なぜなら、介護は個別性が極めて高いからです。
親の性格、資産状況、病状、家族構成、住環境。他にも無数の要素が絡み合うため、友人の成功体験やネットの一般論が、そのまま自分の親に当てはまることは稀です。
そのため、たくさんの情報を収集してもなかなか自分に合う話は出てきません。
霧の中でコンパスを持たずに進むようなものです。「この方向で合っているのか」という確信が持てないため、常に不安がつきまとい、決断が鈍ってしまいます。
これは、知識が足りないからではありません。
そもそも「自分と全く同じ条件の事例」がほぼ存在しない構造になっているのです。
だからこそ、膨大な情報を0から探索して自力で正解を探そうとするのではなく、何年も毎日こればかりやっているおかげで個別の状況に合わせてルートを選択できる専門職に頼ることが、構造的に正しい攻略法になります。
地図を持っていて、その日の山の様子や登山者の体力に合わせて適切なルートを選択できる山岳ガイドに近いでしょうか。
歩みが止まらないように背中を押したり、頑張りすぎている時には休憩を促したりもしてくれます。
ここまでの3つが、仕事と介護の両立を難しくしている「構造的な要因」です。
こうして見ると、うまくいかないのは個人のせいではないことがわかります。
実際の介護をどうにかしようと頑張る前に、まずはその**「前提」**を整理しておくことが有効です。
いきなり「どう介護するか」という難しい本題に入る前に、以下の3つを整理しておくだけで、その後の話し合いがスムーズになります。
まず最初にするのは、自分がどこまで関われるか、その枠組みの確認です。
「できるだけ頑張る」という曖昧な目標ではなく、「ここまではできるが、これ以上は無理」という限界ライン(制限)をはっきりさせます。
介護の計画は、この制限を超えると途端に難しくなります。
考えてみてください。介護が無くても、そもそも毎日大変ではないですか?
自分の限界を冷静に把握し、その内側で回る方法を考えることが、結果として長く親を支えることにつながります。
冷静ではいられないな、という方は、介護が始まる前に周囲の人や専門職に伝えておきましょう。危なくなりそうなときは止めてくれるでしょう。
介護を受けるのは親なので、本来は「親本人の意思」で決まります。同時に責任も本人にあるはずですが、それが難しい場合もあるので、本人の代わりに家族が意思決定を行うことになります。その時、家族の中で誰がキーマンになるかを整理しておきましょう。
ここに、医師などの専門的判断や制度上の制限などが加わります。
自分一人ですべて背負うのではなく、「本人の意思」を真ん中に置いて、お金や実働の部分で誰が関わるのか、配役を確認しておきます。
はっきりと事前に決められることは少ないので、なんとなく予想するぐらいで構いません。
自身の立ち位置を把握するだけでも状況が整理しやすくなります。
情報不足を補うために、プロへの連絡ルートを確保します。
彼らは、理由3で触れた「地図」を持っているプロです。
具体的なことが決まっていなくても、「何から始めればいいかわからない」と相談するだけで、情報の整理が進みます。
地域包括支援センターへの頼り方は、こちらのセミナーで現任の方が解説してくださいました。
▼親の介護、どこに相談したらいい?身近な相談先「地域包括支援センター」の”現役職員”に聞く!
仕事と介護の両立が難しいのは、個人の努力が足りないからではありません。
「実際の介護」を支えるための「体制づくり」が整っていないことが、最大のボトルネックになっているからです。
一人で抱え込まず、まずは「できないこと」を明確にし、プロや周囲と連携して体制を整える。この順序を守ることこそが、賢く乗り切るための最大のポイントになります。
介護が始まる前の心構えについては、東京都の公式サイトに寄稿したコラムも参考になります。
▼仕事と介護の両立に大切な、最初の備え(東京都福祉保健局)
本記事で解説した「体制づくり」や「構造の理解」について、より具体的な対策やチェックリストをまとめた書籍です。読み物というよりは、困ったときに開く辞書や地図として活用できるように設計しました。お守り代わりに、手元に置いていただければ幸いです。
『仕事は辞めない!働く×介護 両立の教科書』(日経BP)
木場 猛(こば・たける)
㈱チェンジウェーブグループ CCO/介護福祉士・ケアマネジャー/武蔵野大学別科 非常勤講師
東京大学卒業後、介護現場で20年以上・累計2,000件超の家族を支援した「仕事と介護の両立」の専門家。現在は両立支援クラウド「LCAT」や「ライフサポートナビ」の監修、年間400件の相談対応を行う。厚労省の有識者ヒアリング対応をはじめ、東京都・山梨県等の自治体、日本家族看護学会での登壇、パナソニックなど大手100社以上への支援実績を持つ。著書に『仕事は辞めない!働く×介護 両立の教科書』。月間1,000名規模の「全国ビジネスケアラー会議」モデレーターも務める。