なぜ「仕事がデキる」人ほど、介護で苦しくなるのか? ― 仕事と介護の両立に必要なのは思考法ではなく「余白」

なぜ「仕事がデキる」人ほど、介護で苦しくなるのか? ― 仕事と介護の両立に必要なのは思考法ではなく「余白」

「今の仕事なら、どんな事態もロジカルに、スマートに解決できる」
「タスク管理もスケジュール調整も、当然のこととして回している」

親の介護が現実味を帯びてくる40代、50代。仕事の経験値は高く、若い頃よりはずっと「デキる」ようになったという自負がある方も多いのではないでしょうか。

私もそうです。少なくとも、20代の頃よりは、いくらかマシに仕事ができるようになったと思っています。

ただ、そんな自負があるビジネスパーソンほど、いざ親の介護に直面した時に、予想もしなかった大きな戸惑いを感じることになります。

ビジネスで身につけた思考法や「効率化」を介護に持ち込もうとすると、なぜかうまくいきません。事態は解決に近づくどころか、親との会話は噛み合わず、イライラが募り、自分自身のメンタルまで追い込まれていく……。

理屈では正解が分かっているのに、心がついていかない。

そんな「空回り」のような感覚に陥ることが、きっとあるはずです。

企業従業員向けの介護相談窓口では、「自分は仕事ならもっとうまくやれるはずなのに、なぜこんなこともできないんだろう」と、自身を責めている方が少なくありません。

ですが、安心してください。

直面しているのは、「思考法」や「スキル」といった個人の能力不足ではありません。誰もが避けて通れない、脳という「ハードウェア」の物理的な容量オーバーです。

言わばそれは、標準的な人体の「仕様」なのです。

個人の資質の問題ではなく、避けられないタイミングの問題であるということは、今、国を挙げて仕事と介護の両立支援が進められていることからもわかります。
参考)経済産業省「仕事と介護の両立支援に関する 経営者向けガイドライン」

この記事では、仕事と介護の両立において、なぜ個人の「思考法」で解決しようとするほど苦しくなるのか。そして、私たちが真に確保すべき「余白」について、少し視点を変えて考えてみたいと思います。

 

まず、「理想の思考法」から整理してみる

仕事と介護、この質の異なる二つの難題を同時にハンドリングするためには、指針となる思考の軸が必要です。

まずは、「理想はこれだな」と思う三つの思考法を整理しておきます。これらは、心身のコンディションさえ万全であれば、非常に強力な武器になります。

 

クリティカルシンキング

これは、目の前の事象について、事実に基づいて妥当性を判断することで、本質的な課題解決につなげる力です。

「仕事と介護の両立」というだけでも大変ですが、多くの人はそこに育児、他の家族のケア、親戚付き合い、自身の健康、お金の問題など、無数の変数が絡み合い、状況は複雑を極めます。

そんな時、パニックにならずに「今、最優先すべき事実は何か?」「動かせない制約条件は何か?」を整理し、優先順位をつける。

感情と事実を切り分け、有効な手段を冷静に判断するために、この思考法は不可欠です。

 

不確実性の受容(ネガティブ・ケイパビリティ)

介護の世界は「変動」が前提です。親の体調や気分は、山の天気のように変わります。「今日はこれをやる予定だったのに」という固執は、苦しみを生むだけです。

「予定通りにいかないことこそが、介護の通常運転である」と腹を括り、変化を織り込んでいく姿勢。

どうにもならない事態を、すぐに解決しようと焦らず、未解決のまま持ちこたえる力。これもまた、長く続けるためには大事な能力です。

 

仮説思考

不確実な未来のリスクをゼロにしようとすると、身動きが取れなくなります。

100%の正解を探し続けて立ち止まるのではなく、「まずはこうしてみよう」と仮の答えで動く軽やかさ。その元になるのが仮説思考です。

うまくいかなかったことを「失敗」ととらえるのではなく、「一回分の検証材料が取れた(このやり方は合わないと分かった)」として扱う。

……こう考えられたら理想的ですよね。

 

しかし現実は「そう簡単にはいかない」

この三つの思考法。読めばおそらく頭では理解できて、「その通りだ」と思う方が多いでしょう。

しかし、いざ自分の親の介護となると、そう簡単にはいきません。理屈としては分かっていても、介護の場面では「別の力」が働くからです。

 

感情が整理できない

介護の場面でまず最初に押し寄せてくるのは、論理ではなく「感情」です。

  • 不安: 「この生活はいつまで続くのか」「経済的に持つのか」
  • 焦り: 「仕事の時間に食い込んでしまう」「自分の時間が消えていく」
  • 戸惑い: 「尊敬していた親が、親でなくなっていくようだ」
  • 罪悪感: 「もっと優しくできたはずなのに」「イライラしてしまう自分が嫌だ」

こうした感情が幾重にも重なると、思考するより先に、心と身体が反応してしまいます。

頭では「怒ってはいけない」と分かっているのに、親の何気ない一言にカッとなってしまったり、ふとした瞬間に涙が出てしまったりするのは、感情の波が思考の堤防を越えて決壊してしまうからです。

 

失敗したくない気持ちが強く出る

仕事でのミスなら、ある程度のリカバリー方法はイメージできるでしょう。経験則や、頼れる仲間、上司がいることも知っています。

しかし、初めての介護では、リカバリーの方法がイメージできません。

家族の代わりはおらず、本当に助けてくれる人がいるかもわからない。

そんなプレッシャーの中にいると、慎重になりすぎて動けなくなります。「とりあえず仮説思考で試そう」と言われても、「もし間違っていたら取り返しがつかないのでは?」という恐怖がブレーキをかけてしまうのです。

そもそも正解なんて誰にも分からない、という事実もまた、介護を余計難しくする要因の一つです。

 

余裕がないと判断そのものが鈍る

そして何より、疲労や緊張が続くと、人間は「考える力」のほうが先に限界を迎えます。

頭の中がいっぱいになり、選択肢が見えにくくなる。普段ならすぐに思いつく解決策が、全く浮かばなくなります。

  • 自分はネットショッピングを毎日使っているのに、親の買い物には「自分が行かなければならない」と思い込んでいる。
  • 最近まで子育てで紙おむつの便利さを知っているはずなのに、自分の親に使うことは考えられず、毎日大量の洗濯物を洗っている。

これは実際にあった例です。最強の思考法を身につけていたとしても、介護の場面では気持ちが先に動き、頭をいっぱいにしてしまう。

このギャップこそが、両立の難しさを生む根本です。

 

なぜここまで難しくなるのか

何度も言いますが、これは個人の能力の問題ではありません。

仕事と介護の組み合わせ自体が、構造的に脳のリソースを枯渇させる性質を持っているせいです。

 

仕事と介護はどちらも「高負荷のタスク」

仕事では主に「高度な論理性」が求められます。そしてたいてい物量が多い。これだけで十分、高負荷です。

一方で、介護では「感情の処理」を求められます。

「感情」は、パソコン(PC)で言えばメモリ(作業領域)を大量に消費する「重いアプリ」です。この二つが常時重なって立ち上がっている状態を想像してみてください。脳のリソース(メモリ)は常に限界ギリギリまで消耗しています。

 

感情という「激重アプリ」のバックグラウンド処理

特に厄介なのが「感情」です。

先ほど挙げた罪悪感や不安といった感情は、PCで言えば高画質の動画編集ソフトのような「激重アプリ」です。

しかもこれらは、意識して起動するのではなく、バックグラウンドで勝手に立ち上がり、常にメモリの大半を占有し続けます。

この状態で「仕事のメールを一本返す」という、普段ならテキストエディタを開く程度の軽い処理をしようとしても、システム全体が重すぎて動きません。「メール一本打つのに30分かかる」という現象は、こうして起こります。

優秀なCPU(思考力)を持っていても、メモリがいっぱいなら、「何か知らないけどパソコンが止まった」という状態になる。これと同じことが脳内で起きているのです。

 

予測不能な変化が判断の連続を生む

急な呼び出し、体調変化、予定のずれ。

介護がある生活では、計画を立てても「その場で修正」が必要になり、一日の判断回数が劇的に増えていきます。

人は小さな判断をするたびに、脳のエネルギーを使います。夕方にはもう、「今日の夕食を何にするか」を決める力さえ残っていないでしょう。静かに疲れが積み重なり、ある日急に限界が来る。

これは個人の処理能力不足ではなく、構造的な「メモリ不足」です。仕様です。

 

解決策は「思考の強化」ではなく「余白の確保」

ここまでくれば、解決策の方向性は見えてきます。

理想的な思考法は確かに大切です。しかし、それらが正しく動くには前提が必要です。

その前提とは、「余白」です。

余白(メモリの空き容量)があると、意外とやることはシンプルだと気づくことがあります。

  • 感情を整理しやすくなる
  • 今やるべきことに集中できる
  • 判断が安定する
  • 「とりあえず試してみよう」と思える

反対に余白がないと、

  • 考えたくても考えられない(フリーズする)
  • 感情に圧倒される
  • 判断が重くなる
  • ミスを恐れて身動きが取れない

という状態になります。

両立の核心は、「どんな思考を持つか(どんなアプリを入れるか)」ではなく、「どう余白を作るか(メモリをどう空けるか)」に尽きるのではないでしょうか。

 

余白を作るための現実的な手段

では、具体的にどうやって余白を作ればいいのでしょうか。

「時間ができたら休もう」と考えていては、一生余白は生まれません。余白は、意識的にデザインし、確保するものです。

すぐに実践できる日常レベルから、強制的なリセットまで、段階を追って紹介します。

 

日常で使える脳のキャッシュクリア

PCの動作が重くなった時、再起動までしなくても、キャッシュ(一時ファイル)を削除するだけで軽くなることがあります。人間も同じです。混乱してきたときは、思考で解決しようとするより、こうした小さな行動のほうが確実に効きます。

  • 外に出て、空を見る
    嘘のような話ですが、これが案外一番効きます。
    仕事も介護も、視界が「半径数メートル以内」に固定されがちです。視点が近くなると、思考も近視眼的になり、悩みにとらわれやすくなります。
    一旦外に出て、深呼吸をする。空を見る。
    物理的な「広さ」を感じることで、脳内に擬似的なスペースが生まれます。
    スピリチュアルな話ではなく、「広がった景色を見るとスッキリする」程度の、生理的な反応を利用するのです。
  • 数分だけ歩く、席を離れて距離を置く
    イライラが募ったら、トイレでもベランダでもいいので、物理的にその場を離れてください。壁一枚隔てるだけで、感情の伝播を遮断し、脳の熱を冷ますことができます。
    状況そのものは変わらないかもしれませんが、「問題」との物理的な衝突は一旦避けられます。

 

非常時は「外部サーバー」へ負荷を分散する

急な変化を一人でやりきるのは大変です。通常状態で余力・余白が無いわけですから、そこにさらに負荷をかけるとシステムダウンしてしまいます。

仕事では一時的に無理してどうにかする場面が発生するのは避けられないのかもしれませんが、介護で無理は禁物です。

介護はいつまで続くかわからず、その間イレギュラー対応が頻発します。「非常時」が常態化する傾向にあるので、それを毎回無理して乗り越えるのは、持続可能性の観点から現実的ではありません。

  • 家族、兄弟姉妹
  • 介護サービス、ケアマネジャー
  • 家事代行などの民間サービスによる外部サポート

これらを「迷惑をかけたくない相手」と捉えるのではなく、非常時にタスクを分散できる「外部サーバー」のように捉えておくほうが安全です。

少なくともどれか一つ。いざという時に接続できる先があるだけで、心のメモリ消費量はぐっと下がります。

ローカル環境(自分一人)では処理が追い付かないので、クラウドサービス(他者)にタスクを分散させるというイメージです。システムダウンを防ぐためによくある考え方ではないでしょうか?

 

長期的には強制リセットを組み込む

日常のキャッシュクリアだけでは取りきれない、深い疲れを取り除くには、定期的なリセットが必要です。

その象徴的な手段として、「温泉旅行」がおすすめです。

しかし、ただ行けばいいというわけではありません。仕事と介護に疲弊している人には、おすすめの「条件」があります。

黄金比率は「2泊3日」×「移動3時間」

これは私の経験則ですが、辿り着いた最適解はこちらです。

  • 移動距離:片道3時間程度
    新幹線や特急でサッと行ける距離です。丸一日移動で潰れるようでは、疲れてしまいます。
  • 期間:2泊3日
    これが極めて重要です。1泊2日では、着いてすぐ夕食、翌朝にはもうチェックアウトで、気が休まりません。2泊3日なら、「中日(なかび)」を完全オフにできます。

この「中日」に、できれば携帯もオフ。あとは好きにしましょう。仕事のことと介護のことさえ忘れれば、何をしても(何もしなくても)OKです。

なぜ「海外」や「1週間」ではないのか?

「どうせならパーっとハワイにでも!」と思うかもしれません。しかし、海外旅行や1週間の長期旅行は、準備だけで膨大なエネルギーを使います。そして何より、「非日常からの落差」が大きすぎるのです。

天国のような場所で長期間過ごしてしまうと、帰ってきた瞬間、現実に待ち構えている介護や山積みの仕事を見た時の絶望感が深くなります。「現実に戻れなさそう」「帰るのが怖い」。

私自身、そう感じてしまうので、普段から旅行が趣味という人以外は、近場の温泉ぐらいにしておくのが無難だと思います。これは現実逃避ではなく、「現実と戦い続けるためのメンテナンス作業」だからです。

普段の環境から物理的に距離を取り、広がる景色を眺め、家より広いお風呂にゆっくりつかる。身体がゆるむと、自然と心もゆるみます。強制的に思考がオフになり、感情のリセットが行われることでしょう。

年1回でも、半年に1回でもいいです。「この日に温泉に行く」という予約が入っているだけで、いつまで続くかわからない介護に区切りを作って、ペース配分がしやすくなります。

介護中で、自分が離れるわけにはいかないと感じている方も、2か月後ぐらいに旅行の予定を組んで、担当のケアマネジャーさんに伝えてみてください。

普段の大変さを見ているケアマネさんや介護関係者は、

「どうぞ行ってらっしゃい、サービス調整します」

 「その間、こちらに連絡しないように気を付けますね」
 「親御さんが嫌がりそうなら私からも言っておきます」

というぐらい、喜んで協力してくれると思います。ぜひ、プロを信じて頼ってみてください。

 

まとめ

クリティカルシンキングや仮説思考などの思考法は仕事と介護の両立にも役に立ちます。

しかし、実際の介護の場面では、感情や疲労が先に反応するため、どんなに優秀な人でも、理想の思考法だけでは動けない瞬間が必ず生まれます。

だからこそ、本質的に必要なのは、思考の強化ではありません。

「余白をどう確保するか」という一点です。

私がクリティカルシンキングした結果、辿り着いた結論がこれでした。

  • 日常の小さな余白(深呼吸、空を見る)
  • 非常時の外部支援(第三者を介入させる)
  • 定期的なリセット(近場の温泉で2泊する)

これらを組み合わせることで、パンパンになった脳のメモリを解放し、無理なく両立を続けるための土台が整います。

もし今、「うまくいかない」と悩んでいるなら、それは能力や努力が足りないからではありません。足りていないのは、余白だけです。

まずは今、この画面から目を離し、窓の外を見て、大きく深呼吸をしてください。それが、最初に作るべき、大切な「余白」ではないかと思います。

 

執筆者プロフィール

木場 猛(こば・たける)
㈱チェンジウェーブグループ CCO/介護福祉士・ケアマネジャー/武蔵野大学別科 非常勤講師
東京大学卒業後、介護現場で20年以上・累計2,000件超の家族を支援した「仕事と介護の両立」の専門家。現在は両立支援クラウド「LCAT」や「ライフサポートナビ」の監修、年間400件の相談対応を行う。厚労省の有識者ヒアリング対応をはじめ、東京都・山梨県等の自治体、日本家族看護学会での登壇、パナソニックなど大手100社以上への支援実績を持つ。著書に『仕事は辞めない!働く×介護 両立の教科書』。月間1,000名規模の「全国ビジネスケアラー会議」モデレーターも務める。

この記事は役に立ちましたか?

課題が解決しなかった場合、下記から専門家に直接質問ができます。

無料会員に登録して専門家に質問する

関連記事

サポナビQAバナーサポナビQAバナー