2022年9月16日、リクシスは、第1回『全国ビジネスケアラー会議』を開催いたしました。本オンラインセミナーは、高齢化の流れが加速する日本社会において、現役世代として働きつつ、同時にご家族の介護にも携わっている「ビジネスケアラー」の方々、そして、その予備軍となる皆様に向けたセミナーです。イベントの中では、在宅医療のトップランナーであられる専門医による最新の知見や、ビジネスケアラーとして親族の介護と仕事の両立を果たしてきたお二方の生のお声などをいただきました。
(プレスリリース:現役ビジネスパーソンと医療・介護プロが結集した『第1回 全国ビジネスケアラー会議 仕事と介護、両立のヒントがここに。』)
本記事では、第二部のパネルディスカッションのうち、大隅聖子さんのケースを中心にご紹介します。
パネルディスカッションでは、ビジネスケアラーとして仕事と介護の両立を実現してきたお二方をお招きして、介護の始まりの戸惑いから、さまざまな課題を乗り越えていった経験まで細かく伺いました。 パネリストには介護と診療、それぞれ専門の先生方にもご参加いただくことで、プロのお立場からの意見もカバー。ビジネスケアラーの先輩による貴重な生の声と、専門家による豊富な知識に裏打ちされた、実り多い質疑応答の時間が生まれました。
登壇者プロフィール
大隅さんの介護の始まりは、2020年4月に起きた「お母様の入院」という出来事でした。
お父様が亡くなられたあと、独居状態とはいえ、明るく過ごされていたお母様のことを安心して見守っていた最中、とつぜんの入院だったそうです。さらに、コロナ禍のために面会もできず、一時は大きな不安が大隅さんを襲いました。
お母様が退院後に介護が必要になるであろうことを知った大隅さんは、会社の同僚であり、ケアの専門家でもある木場氏に相談を持ちかけます。その結果、「とにかく介護認定を受けることが先決」と聞き、地域包括支援センターに連絡を取って、介護認定を受けたり、退院後のヘルパーさんの手配をするなど、遠隔で在宅介護ができる体制を整えます。
大隅 :介護認定は退院までに取れましたし、退院後の準備も比較的スムーズにできたので、しばらくの間は順調でした。しかし、母には病気がありましたので、だんだんと体力が落ちてくるんですよね。そうなりますと、2週間に1回くらいのペースで、週末に3日ほど母のいる実家に帰って、ケアをするようになりました。実家にはヘルパーさんがいるとわかっていても、ヘルパーさんにはできないことがあるとわかると、やっぱり母が気の毒に思えてしまうんです。最初に「遠隔で介護する」と決めて体制を作ったのに、途中でやっぱり、「1ヶ月くらい家に行ってしまう」というのをやりました。
お母様に少しでも健やかに暮らしてもらいたい、という思いのもと、だんだんと自分の手による介護の比率を高めていく大隅さん。しかし、実際に介護の現場に入ってみると、素人にはできないことも多くあったと言います。
大隅 :最後のほうは、母には「死の不安」みたいなものがあったみたいで、夜中に何度も起こされて、2時間おきに電話で話し相手をしたりもしました。また、母の状態が進んで、「食事が摂れなくなった」とか「便が出なくなった」と言われても、正直、何をしていいのかわからなかったことを憶えています。
お母様のことを心配に思う気持ちが募った大隅さんは、とうとう「仕事をやめて、徹底的に介護をやろう」と決心します。
大隅 :母の施設入居も検討していたのですが、本人に「施設には行きたくない」とイヤがられてしまいました。いろいろ困難が重なったのもあって、社長と木場に「仕事やめます。私は介護に専念します」と宣言したのがこの頃です。ただ、地元のケアマネさん含め、皆さんとても冷静で、「いいから東京に帰ってきてください」と言われました(笑)。
「仕事をやめて自分で世話をしたほうがいいのでは」と迷いが生まれるたびに、ケアマネさんや同僚の皆さんに諭されて「最初に決めたこと(遠隔介護)が正しかったんだ」と気づく、というサイクルを繰り返しましたね。実際、母にも「うるさいから、東京に帰って」みたいなことを言われたりもしました(笑)
延命治療をするかどうか、実家の処分、お金のこと。介護に対する葛藤と対話を繰り返す中で、大隅さんとお母様はいろいろなことを話し合いました。
大隅 :たくさんの会話と諸々の処分を進めていく中で、最後には、「私にできることは少ない」と判断できるようになりまして、母には有料老人ホームに入ってもらうことにしました。そのホームにて、延命治療なく、看取りもしてくださるという、大変いい状態で。コロナ禍の中でしたが、24時間くらい、最期、施設の部屋で母と一緒に過ごさせてもらいました。そのときの対処の仕方も、「難しい。やっぱりプロじゃなきゃ無理だ」と思いましたが、死の瞬間まで、一緒におりました。
こうして、大隅さんの介護は終わりました。途中は何度も「これが本当に正しいのか」と迷ったものの、その都度、プロに意見をもらって確認をしながら、お母様との対話も欠かさないようにして、納得できる道を探っていったそうです。
大隅さんのケース紹介が終わると、ディスカッションは質疑応答へと移りました。
大屋:「遠隔で介護する」と最初に決めたけれど、お母様にご病気があったりすると不安になって、ついつい帰りたくなる。このお気持ちはよくわかります。これはケアラーにとって、陥りがちなパターンなのでしょうか?
木場:ご病気の関係で突然入院とか、急変したときには「1回、とりあえず家族が行って、しばらく面倒見ます」というふうになる方は多いですね。特に、大隅さんの場合はコロナ禍のせいで行けなかったために遠隔から始まりましたけど、コロナじゃなかったら大隅さんは実家に戻っていたと思います(笑)
大隅 :(笑)
木場:「コロナだったから相談してもらえた」というところもあったでしょうね。なかなかやっぱり、最初から人に頼るというよりは、「とりあえず自分が行ってしまう」という人が大多数だとは思います。
大屋:それで、「行ってみて、意外と何もできないことに気づく」という感じなんですかね?
木場:そうですね。何もできなくても心配は心配なので、横にいると、やっぱり不安な気持ちはどんどん膨らんでいきます。先ほどお話された崎山さんのケースのように、「このぐらいでしょうがないかな」というふうに割り切ることのできる人のほうが少ないと思います。なので、そのままずっと、べったりいてしまう可能性が高いですね。
大屋:ありがとうございます。ちなみに遠隔の場合、私の周りでもいるのが「親をこっちへ呼び寄せちゃおう」という人ですが、その辺りは大隅さんはお考えになりましたか?
大隅 :やりました。「東京に来て。うちは広いから、部屋はあるよ」って話をして。また、木場さんにも相談して、「中央区はどこに地域包括センターがあるんでしょうか?」と聞いたり、十分に準備はしたんです。母本人も最初は乗り気で「行く」って言ってたんですけど、最後には「こっちに友だちもいるし、やっぱり東京行くのやめるわ」って言われたんですよ。正直、「これだけ話し合ったのにやめるですと!?」と思ったんですけど、実は半分くらい、安心する気持ちがあったりして複雑でした。結果的には有料老人ホームで最期を迎えたけども、その他は在宅でしたね。母はずっと「家にいたい」と言い張っていました。
大屋:第一部の佐々木淳先生のお話にあった、「お友だちの縁から引きはがしてはいけない」という部分を思い出しました。お一人で住まわれていて心配でも、やっぱり、本人のいたいところにいてもらうのが大事ということですかね。それと、やはり介護のために仕事をやめてしまうのはよくないのでしょうか?
木場:絶対やめちゃダメかどうかと言われるとちょっと難しいところですけど、大隅さんと僕は仕事が一緒なので、「専門職として」というよりも、同僚として、一緒に働く者として、「仕事をやめないでもできるはずです」というお話を出すことができました。でも、そうですね……「統計上、原則、仕事はやめないほうがよさそうなデータはあります」ということまでが、僕が言えるところでしょうか。
大屋:佐々木先生はいかがですか。やっぱり、仕事はやめないほうがいいのでしょうか?
佐々木:やめないほうがいいですね。介護に、例えば「最期の何ヶ月間かは、やっぱりお母さんと一緒にいて、お母さんのためにがんばりたい」というのはいいんですけども。まず、ご家族を介護しなきゃいけないほどの年齢になってくると、「退職をしたあとに復職をするのがなかなか難しい」という理由が一つ。
それからもう一つは、「介護が終わったあとの虚無感」の問題があるんですね。仕事があれば、介護が終わったあとに仕事に戻れるんですけど、それもやめてしまうと、介護が終わった途端、何もない空間にポツンと一人。「私はこれからどうしたらいいの?」という状況から、なかなか一歩を踏み出せない方もけっこういらっしゃるんですよね。そういった意味でも、やはりご自分の人生はご自分の人生で、「継続性」を意識することはとても大事です。
もちろん、患者さんのご家族の中には、「私は母一人子一人で、ここで介護をやらなきゃ絶対に後悔する」という方もおられるので、そういう価値観は、もちろん我々も尊重したいと思います。ですが、一般的には仕事はやめないほうがいいと思いますし、仕事をやめないでも済むケアの体制を組んでいくことは重要だと思います。
大屋:会場からの質問で、「施設に入れるということで、何か迷ったことや、後悔していることはありますか?」ということですが、大隅さんはいかがですか?
大隅 :入居については非常に迷いましたね。母本人もやっぱり、施設に入ることに抵抗がありました。もともと社会性が非常に高い人だったので、施設に入ると決まった段階で、いろんな人に「これで終わりだわ」みたいな連絡をしてるのも見てしまったものですから(笑)。
「うわあ。私の選択って正しかったのかな?」という葛藤があったんですけども。でも、食事の内容の変化であるとか、母が弱っていく状況に対して、「弱っていくのはしょうがない」というのは、本当に見ていて感じました。ああいったケアは、私の手ではできなかったと思います。だんだんとおかゆにしていく、あの感じとかですね。だんだんと栄養の高いものをやっていく。あれは無理だな、というふうに思っておりますので、対話も含めて、施設の方たちを頼ったのは正しかったと思ってますし、母本人も、そう感じていたと思います。とにかく、看取りの状況なども本当にプロフェッショナルだなと思いましたので、そういうホームが探し出せたことは幸運でした。
大屋:佐々木先生のお話では、「ご自宅で最期を迎えたい方が多いので、できる限り、ご自宅がいいんじゃないか」とありましたが、大隅さんのケースに関してはいかが思われますか?
佐々木:自宅というよりは「住まい」ということだと思うんですよね。その人にとって心安らげる、守られている感覚があればいい。なおかつ、そこで生活ができるというのが、住まいの要件だと思います。なので、それは「住み慣れた自宅だ」という方もいらっしゃるし、途中から安心できる場所に住み替えるということがあってもいいはずです。
特に、認知症の方やなんかは、よく「家に帰りたい」とおっしゃるんですけど、話を聞いてみると、その帰りたい家は「幼少期に過ごしたあの家」なんですね。つまり、必ずしも、これまで住んでいた場所にこだわっていない方もいらっしゃるわけです。ご本人のニーズがどこにあるのかをキャッチして、場合によっては施設を選択するというのは、もちろん、ケアの体制がやはり全然違いますので、あってもいい選択なんじゃないかと思います。
パネルディスカッションの最後には、全国にいるビジネスケアラー予備軍の方々に向けて、大隅さんや専門家の木場先生からコメントがありました。
大隅 :とにかく環境が皆さんそれぞれ、一人ひとり違いますよね。私は遠隔でしたが、ご一緒に住まわれてる方もいらっしゃるだろうと思います。また、親戚との関係はどうなのかなど、いろいろ条件はあるでしょう。でも、共通していることについて言うと、「自分で全部やろうとしない」という考え方は根本に持っていたほうがいいと思います。自分の人生を生きたほうがいいと思うし、まずは「自分一人で抱え込まない」ということをお腹に据えて、それからケア体制を組んでいくのがいいんじゃないかな、という気がしております。
木場:今回はケアラー予備軍の方がたくさん聞いてらっしゃるということなので、「少しでも楽に、親の介護に取り組んでいくために」というところで、一言お伝えしたいと思います。この2、30年で、高齢の方お一人の介護に関わるご家族や親族の数は激減しました。なので、親の世代が介護していた頃の「できるだけ家族で看る」ということ自体が、現代ではそもそも不可能な状態なんですね。公的なもの、民間のもの含めて、サービスはたくさんあります。「他人の手を借りる」ということに負い目を感じることなく、「使えるものは全て使う」というふうに考えておいていただけるといいかなと思います。どうしても、いざとなると、「私が行って介護をやればいいかな」となってしまいがちなので、介護が始まる前に、「あまり気負わなくてもいいんだな」と思っていただけると、仕事と介護の両立が楽になるのではないでしょうか。
▼同イベントでの基調講演レポートはこちら
【イベントレポート①】在宅医療の最前線『老いのメカニズム』とご家族のリテラシー<前編>
【イベントレポート②】在宅医療の最前線『老いのメカニズム』とご家族のリテラシー<中編>
【イベントレポート③】在宅医療の最前線 『老いのメカニズム』とご家族のリテラシー<後編>
▼別のビジネスケアラー経験談はこちら
【イベントレポート④】ビジネスケアラーの「実践サバイバル術」とは<崎山さんのケース>
木場 猛(こば・たける) 株式会社チェンジウェーブグループ リクシスCCO(チーフケアオフィサー)
介護福祉士 介護支援専門員 東京大学文学部卒業。高齢者支援や介護の現場に携わりながら、 国内ビジネスケアラーデータ取得数最多の仕事と介護の両立支援クラウド「LCAT」ラーニングコンテンツ監修や「仕事と介護の両立個別相談窓口」相談業務を担当。 3年間で400名以上のビジネスケアラーであるご家族の相談を受けた経験あり。セミナー受講者数、延べ約2万人超。
著書:『仕事は辞めない!働く×介護 両立の教科書(日経クロスウーマン)』
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