私たちが、なんらかの物事を理解しようとするとき、まずは共通点をさがすことをします。特に、共通点が理解できれば、対象となる2つ以上の物事は、ひとつの分類(カテゴリー)として考えることができます。たとえば、サンマとイワシを考えるとき、そこには「ピカピカと銀色に光る魚」という共通点がみられるでしょう。それは、そのまま分類になります。
次に行うのは、共通点を見出した2つ以上の物事の間に、差異点をさがす活動です。サンマとイワシには「ピカピカと銀色に光る魚」という共通点があるものの、身体の細長いサンマに対して、身体の短いイワシには、体の長さという点で差異点が見られます。この時点で「ピカピカと銀色に光る魚」という分類の下には「身体の細長い魚」と「身体の短い魚」があることが理解できます。
この一連の活動は、複数の物事に中に、ロジックツリー(樹形図)の構造をはめこむというものです。「分かる」という言葉は「分ける」ということであり、それは、この世界にロジックツリーの構造を与えるということです。
私たちは「うまい比喩」が好きです。好きということは、脳が喜んでいるということでしょう。であるならば「比喩」には、なんらかの意味があるということです。私たちが「比喩」を生み出すとき、私たちは、全く異なると考えられる「遠いもの」の間に、なんらかの共通点を見つけようとしています。
イワシと人間の共通点を探そうとすると、大変です。お互いが遠い存在なので、一見すれば、なかなか共通点が見つからない気がします。しかし、実際には、イワシも人間も生物であり、酸素を吸って二酸化炭素を出すという呼吸をしているし、2つの目と1つの口を持ち、心臓があり、胃があって・・・という具合に、多くの共通点もあります。
このとき、「どちらも生物」といった、当たり前の共通点ではなくて、「どちらも群れを組む」といった少しユニークな共通点を見出すと、そこから先のロジックツリーが面白くなります。
人間も群れを組む生き物だとすると、群れのルールである(1)衝突を避ける(2)中心位置に向かう(3)周囲の個体と同じ速度を守る、といった生物学が明らかにした法則が、そのまま人間にも当てはまる可能性が見えてきます。
人間も、衝突を避けて誰かと喧嘩をしようとしないし、流行やランキングが好きで中心位置を目指しますし、周囲のペースから影響を受けるといったことが感じられます。イワシと人間には、行動特性の中に、共通点がある可能性があるわけです。
イワシと人間といった、お互いにかなり遠い存在の間にも共通点がありますが、逆に、同じ人間の中にも差異点があります。それこそ、一卵性双生児(双子)の間にも、個性に違いがあります。
全く同じ遺伝子を持つ一卵性双生児の間にみられる個性の違いは、育った環境の違いによって後天的に得られる特徴を明らかにします。たとえば、ひとりはミュージシャンになり、もうひとりは医者になっていたとします。ここから、職業選択や得意不得意の中には、遺伝子では決まらないものも多くあることがわかったりもします。
似たようなものの間にも違いがあり、遠く思われるものの間にも共通点があるわけです。私たち人間は、このように、共通点と差異点をさがし、整理するという活動を通して、この世界を理解しようとしているわけです。
介護を考えていくことも、こうした作業が必要になってきます。ときに「高齢者」という分類で、要介護者の共通点を考えたりすることも有効です。また、ときに、共通点の考察からは抜け落ちる特定の人物の差異点(個性)にフォーカスすることも大切です。
私たち自身が、共通点を強調しすぎたり、差異点にばかり言及したりするときは注意が必要です。理解を深めるために大事なのは、共通点と差異点を行ったりきたりすることであり、このどちらかで思考を止めることではないはずだからです。
私たちが「分からない」というとき、それは「分ける」作業がたりていないということです。介護を理解するのは大変なことですが、理解を進めるために必要な作業は決まっています。それは、共通点と差異点をさがしながら、ロジックツリーを整理するということです。
サポナビ編集部