
40代、50代と年齢を重ねるにつれ、ふとした瞬間に「親の老い」を感じることが増えてきたのではないでしょうか。今はまだ元気だけれど、もし介護が必要になったら、今の仕事を続けられるだろうか……。そんな漠然とした不安を抱えている方は、非常に多くいらっしゃいます。
責任感の強い方ほど、「親が困っているなら、自分がなんとかしなければ」と、ご自身の生活や仕事を犠牲にする覚悟を決めてしまいがちです。しかし、専門家の視点から最初にお伝えしたいことがあります。
親御さんのために、あなたが仕事を辞める必要はありません。むしろ、辞めてはいけないのです。
今回は、漠然とした不安を明確な「備え」に変え、あなた自身の生活と親御さんの暮らしの両方を守るための「仕事と介護の両立」についてお話しします。
まず、少し厳しい現実から直視してみましょう。多くの働く皆さんにとって、親の介護が始まる40代後半から50代は、お給料が最も高い時期であり、同時にお子さんの教育費など支出が重なる時期でもあります 。
このタイミングで、感情に流されて「親が倒れたから仕方がない」と退職を選んでしまうと、その後の経済的な打撃は計り知れません 。
仮に、この時期に介護を理由に退職し、その後、不安定な雇用形態などで働いた場合、正社員を続けた場合と比較して、65歳までの生涯収入に約2,300万円もの差が生じるというデータがあります 。
2,300万円という金額は、あなた自身の老後の生活設計を根底から覆しかねない数字です。「親のために」という尊い選択が、結果としてあなた自身の未来を危うくしてしまうのです 。
まずは、「経済的な基盤を守ることこそが、長く安定して親を支える力になる」と考え直してください。「今の仕事を辞めない」と固く決意することから、介護との両立は始まります 。
「仕事を続ける」と決めたとき、次に壁となるのが「時間」と「体力」の問題です。「働きながら、どうやって親の世話をすればいいのか?」と途方に暮れてしまうかもしれません。
ここで、考え方を根本から変える必要があります。 介護は、あなたが直接手足を動かして世話をすることではありません。専門家の手を借りて「体制」を作ることです 。
あなたの役割は、現場ですべての作業を行う担当者ではなく、全体を見渡して判断を下す**「マネージャー」**です 。
食事の世話や入浴の介助など、現場のケアはプロに任せましょう。あなたは「マネージャー」として、親御さんが快適に過ごせる環境を整え、管理することに徹するのです。この役割分担ができれば、仕事を続けながらでも十分に両立は可能です 。
介護の負担を最小限に抑える鍵は**「最初の動き(初動)」**にあります 。 多くの人は、親が転倒して骨折したり、脳梗塞で倒れたりといった「決定的な出来事」が起きてから動き出します 。
しかし、それでは対応が遅れ、最初から手厚いケアが必要な状態からスタートすることになりかねません。重要なのは、その手前の「予兆」に気づくことです 。
例えば、「なんとなく転びやすくなった」「足腰が痛いと言っている」「日中寝ていることが増えた」といった些細な変化を見逃さないでください 。 これらは「歳のせいだから」で見過ごされがちですが、放置すれば筋力低下や認知機能の衰えを招き、一気に介護状態へと進んでしまいます 。
介護認定は病名そのものではなく、「老化に伴う原因で日常生活に支障が出ている度合い」で判断されます。 少しでも「おかしいな」と思ったら、早めに専門家に入ってもらい、リハビリ等のサービスを利用することで、親御さんが自分でできることを長く維持できるのです 。
では、親の異変に気づいたとき、具体的にどこに相談すればよいのでしょうか。 その答えは、**「地域包括支援センター」**一択です 。
地域包括支援センターは、中学校区(人口2万~3万人)に1カ所を目安に設置されている、高齢者のための「よろず相談所」です 。 ここには、社会福祉士などの専門職がいて、主に以下の4つの役割を担っています。
役所の窓口に行っても手続きはできますが、地域包括支援センターをお勧めする理由は、地域の介護事業者や民間の生活支援サービスといった、幅広い情報が集まっているからです 。
まだ介護認定を受ける段階ではなくても、「最近、親の物忘れが気になる」「一人暮らしが心配」といったレベルで相談可能です 。 親御さんと離れて暮らしている場合でも、親御さんが住んでいる地域の地域包括支援センターに電話で相談できます 。
まずはここに電話をして「ここに高齢者がいます」と伝えておくことが、チームを作る第一歩となります 。
最後に、実際に介護が始まった際、どのように仕事と折り合いをつけるべきか、無理なく続けるための具体的な基準をお伝えします。
介護のために会社を休む制度を使っている人は、実は5%未満と非常に少ないのが現実です 。
しかし、ここに大きな誤解があります。「会社の休みは、あなたが仕事を休んで親の介護をするためにある」のではありません 。
家族が直接ケアに関われば関わるほど、専門家が作る計画の中で、家族は「介護の担い手」としてあてにされてしまいます。そうなれば、仕事への復帰はますます難しくなります 。
介護のための休みは、平日の日中にしか動けない役所手続きや、ケアマネジャーとの打ち合わせなど、**「仕事を続けるために、専門家と体制を作る期間」**として使ってください 。
会社に相談する際は、「介護のために休みます」ではなく、「仕事を続けるために、専門家と打ち合わせをする時間をください」と具体的に伝えましょう 。
仕事をしながら介護を続ける上で、ご自身の限界を示す「ものさし」を持ってください。 その目安が**「平日2時間、休日5時間」**です 。
これは、あなたが親のケアに費やす時間の上限の目安です。ここには、食事の世話などの身体的なケアだけでなく、親からの電話対応や、「大丈夫かな」と心配して思い悩む時間も含まれます 。
もし、これ以上の時間を費やしているなら、それは「危険信号」です。あなたの負担が限界を超えつつあるサインです。 このラインを超えている場合は、ケアマネジャーに相談して、デイサービスの回数を増やしたり、ショートステイ(短期のお泊まり)を利用したりして、家族が介護から離れる時間を作ってください 。
これは「休息(レスパイト)」と呼ばれ、制度でも認められている、家族が健康を保つための大切な権利です。専門家に任せることは「冷たいこと」ではありません。むしろ、感情的になりがちな家族よりも、知識を持った専門家が対応するほうが、親御さんの生活にとってもプラスになることが多いのです。
介護は突然の「終わり」ではなく、新しい生活の始まりです 。 あなたは現場で汗をかく作業員ではなく、全体を見渡して判断を下す「マネージャー」の役割を担ってください 。
正しい知識を持ち、早めに専門家とつながることで、不安は確実に減らすことができます。「何かあったらプロに頼れる」という安心感を持って、あなたらしい生活と仕事を続けていってください 。
参考
・酒井穣『ビジネスケアラー 働きながら親の介護をする人たち』 ディスカヴァー携書
・木場猛、佐々木裕子ほか『仕事は辞めない!働く×介護 両立の教科書』日経クロスウーマン
介護支援専門員、社会福祉士、産業ケアマネジャー1級
経歴 介護施設での相談職を経て、現在は在宅のケアマネジャーとして活動中。14年間の相談支援経験を通じて、「仕事と介護の両立」に悩む家族に寄り添い、“備え”の重要性を強く実感する。 現在は企業と連携し、ビジネスケアラー向けにセミナーや個別相談、職場環境づくりを行い、自分らしい“幸せな働き方”を叶えるための支援に取り組んでいる。