「こんなはずではなかった」から始まる希望がある

「こんなはずではなかった」から始まる希望がある

新卒で入社したときには、その会社で「社長になってやる」と意気込んでいた人もいるでしょう。しかし、当たり前のことですが、そうして意気込んでいた若者の大多数は、社長にはなりません。どこかの段階で、自分は「その他、大勢」に分類されるにすぎないという現実を認識することになります。

リアリティ・ショックとはなにか

そうした認識が、心理的なストレスになることがあります。それは、専門的にはリアリティ・ショック(reality shock)と呼ばれるものです。組織社会化論(organizational socialization)の領域に属する概念です。リアリティ・ショックの原因となるのは、社長になれないといった認識だけではありません。大きな一軒家で大型犬を飼うとか、家族で世界旅行をするとか、ありとあらゆる過去の夢が、実現される可能性が低いと認識されることで発生します。

このリアリティ・ショックは、1976年、経営学者ダグラス・ホール(Douglas Hall)の著作(❶)で示された概念です。直接的には「夢と現実のギャップが生み出すショック」を意味しています。夢が実現されそうもないと知るとき、現実との間のギャップを上手に埋められないと、生きる意味が失われかねないのです。これは非常に危険なことです。

実際に、著名な心理学者エドガー・シャイン(Edgar Schein)は、人間は、こうしたリアリティ・ショックの結果として仕事を辞めてしまったり、モチベーションを失ってしまったり、自己満足にしかならない(仕事のパフォーマンスにはつながらない)マニアックな勉強に走ったりすることを指摘(❷)しました。

ダグラス・ホールはさらに、リアリティ・ショックは、自分の潜在能力が活用されないことに対する失望(syndrome of unused potential)につながると主張しました。具体的には「こんなはずではなかった」といった失望です。ここで気づくと思いますが、リアリティ・ショックは、ほとんど全ての人が経験する課題です。この課題と向き合って、自らの人生をどう受容していくかは、多くの人の精神的な安定にとって重要になります。

リアリティ・ショックをこじらせると、大変なことになります。心理学者スザンヌ・ライチャード(Suzanne Reichard)は、人間は、年を重ねていく過程で、大きく2つのタイプに分かれていくことを指摘しました(❸)。現実を受け入れて人生に適応していく適応型と、現実を否定して他責と後悔の中に埋没していく不適応型です。リアリティ・ショックを引きずったまま不適応型になると、自分の人生を失敗とみなし、周囲にネガティブな感情をまき散らす、とても厄介な存在になってしまうのです。

夢や希望が大きいからこそのリアリティ・ショック

夢や希望を持つことは大事です。しかし、そうした夢や希望が大きければ大きいだけ、後の人生におけるリアリティ・ショックもまた大きくなります。大志を抱くからこそ、大きな落胆もまた必然として訪れるのです。そうした落胆から回復し、新たな夢や希望を構築することは、誰にとっても重要なことでしょう。

ここで、多くの成功者たちは夢や希望を「あきらめないこと」が大事だと言います。しかし「あきらめる」とは本来、そこにある現実を「あきらかにする」ことを意味する仏教用語(❹)です。過去の夢や希望は実現しない現実を「あきらかにする」という行為は、リアリティ・ショックそのものです。簡単に「あきらめてしまう」ことは問題ですが、同時に、いつまでも「あきらめない」のは、現実的とはいえないでしょう。

念のため、誤解を避けるために強調しておきますが、僕は「あきらめろ」といいたいのではありません。むしろ、人はどこまでも「あきらめの悪い」存在であるべきだと思っています。それでもなお、どうしても「あきらめる」ことが必要になることが、誰にでも起こる部分に注目しているのです。

リアリティ・ショックとは、そうして過去の夢や希望を「あきらめる」ときに発生する事件です。それは、限りある人生を持った生物として、誰もが通過することになる残酷な現実です。残念ながら「あきらめること」のない人生など、存在しません。むしろ人生とは、様々な夢や希望を「あきらめていくこと」でもあります。

夢や希望に意味がないと言いたいわけではありません。むしろその逆です。夢や希望は、人間が生きていく上で必要な燃料です。ただ、人間の夢や希望は実現されないことのほうが多く、結果としてリアリティ・ショックに着地するところが厳しいのです。実際に「こんなはずではなかった」と感じられることは、僕たちの人生には頻繁に起こります。

多くの高校球児は、甲子園にはいけません。それでも、高校球児が甲子園を夢見ることは大事なことです。大事なのは、夢や希望が実現されることではありません。たとえそれが実現されないとしても、夢や希望を持つことで、それぞれが人生に意味を付与していくことが重要です。リアリティ・ショックとは、そうしたハリのある人生がもたらす「避けられない副作用」ともいえます。

リアリティ・ショックからの回復

「社長になる」といった夢は、一般には、いつまでも持ちつづけることはできません。いずれは、その夢を「あきらめる」ときがきます。そして、リアリティ・ショックにみまわれます。考えておきたいのは、その後のことです。リアリティ・ショックからの回復には、よりリアリティのある、新たな夢や希望が必要になります。ここで、新たな夢や希望を築くとき、僕たちは、何に気をつける必要があるのでしょう。

発達心理学(developmental psychology)は、このヒントとなる脱中心化(decentering)という概念を示しています。この概念は、心理学者ジャン・ピアジェ(Jean Piaget)が構築したものです。ピアジェは、人間は、自分を世界の中心とする価値観から卒業していくように成長していくと提唱しました。簡単にいえば、人間は、自分自身への興味を失う方向にそって成長していくのです。

夢や希望は「誰が、どうなる」といった形式をとることが多いでしょう。ここで、脱中心化が進んでいない人は「誰」の部分、すなわち夢の主体が「自分」になります。「自分が、甲子園に行く」「自分が、世界旅行をする」「自分が、社長になる」といった具合です。これが、脱中心化が進んでくると「誰」の部分が、家族や友人、同僚や組織、そして社会を構成する全ての人々というような「他者」になります。

究極的には、誰もがいつかは死に際し、自分の人生を「あきらめる」ことになります。そのときになってもなお、脱中心化が進んでいなければ、非常に危ういでしょう。しかし、脱中心化が進んでいれば、僕たちの夢と希望は、寿命のある自分にではなく、自分の死後も続いていく社会に託されていくことになります。

「こんなはずではなかった」と感じるとき、僕たちは、新たな夢や希望を構築する必要があります。それは、僕たちにとって大きな成長のチャンスです。そのとき、新たな夢や希望の主体を「自分」ではない「他者」に設定していくことが、よい人生をおくるための要諦なのではないかと思うのです。

  1. Hall, D. T. (1976). “Careers in Organizations”. Goodyear Publishing.
  2. エドガー・H. シャイン. (邦訳1991). 『キャリア・ダイナミクス―キャリアとは、生涯を通しての人間の生き方・表現である。』. 白桃書房.
  3. Reichard, Suzanne., Livson, Florine., & Petersen, Paul G. (1962). “Aging and personality : a study of eighty-seven older men”. Ayer Co Pub.
  4. 一郷正道. 『諦める』. 生活の中の仏教用語(180). 大谷大学.

この記事の監修者

a.tamemoto

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