2024年4月25日、リクシスは、第16回『全国ビジネスケアラー会議』を開催いたしました。
これから高齢社会がより一層加速し、仕事と介護の両立が当たり前の時代がやってきます。本オンラインセミナーは、高齢化の流れが加速する日本社会において、現役世代として働きつつ、同時にご家族の介護にも携わっている「ビジネスケアラー」の方々とその予備軍となる皆様に向けたセミナーです。
今回のテーマは「介護とキャリア形成」。
働き盛りと言われる年齢の時に、突如として家族の介護が始まる場合があります。
今はまだ大丈夫だとしても、いつ仕事と介護の両立をしなければならない状況になるかは分かりません。
家族の介護が始まった時に自分の仕事にどれくらい影響があるのか、キャリアアップが目指せるのか、職場にはどう相談したらいいのか、少しでも不安に思うことがあれば今から考えておくと良いでしょう。
今回は、実際のリアルな体験談をもとに、親の介護とキャリア形成をどのように両立させていけばいいのかということをご紹介していきます。
この記事では、
などのテーマでまとめています。
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①働く世代のキャリア形成と親の介護〜仕事を諦めない遠距離介護の実践方法とは〜(前編)
②働く世代のキャリア形成と親の介護〜仕事を諦めない遠距離介護の実践方法とは〜(後編)⇐このページのテーマ
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山中 藤子(やまなか・ふじこ)
株式会社電通勤務 電通シニアラボ シニアマーケティングディレクター・HRM Coディレクター
主に消費者・生活者インサイトやブランド・事業領域など取引先の戦略プランニングや、自社グループ会社の事業部門の組織変革(DX)などデジタルマーケティングに従事。現在は、シニアマーケティング・高齢化社会問題への取り組みとともに、現場からの人事視点でもビジネスケアラーを考える。
東京と北海道の遠距離介護を実践中。
ここからは私がビジネスケアラーになった背景、マイ・ロール・ストーリーをお話させてください。
私の父の場合は、コロナ禍の自粛生活で足腰が急速に弱り、軽度の認知症の症状が出てきたというのが始まりでした。
コロナ禍中はなかなか実家に帰ることができなかったのですが、ちょうど母の入院も重なり父の面倒をみに帰省することに。その時に父の様子を聞き、親の生活が難しくなっているという事態に直面し、父の支援体制を組むことになりました。
当時、両親は大阪に住んでいました。しかし、我々子どもたち、そして親戚も大阪には住んでいません。
兄が父の故郷の旭川に住んでいるということもあり、兄妹で話し合い、両親には、兄の近居に引っ越してもらうことに。 引っ越しを決めてから1年かけて実行に移したのですが、言うは易し行うは難し、課題は山積。一段落したときには、私自身が、難聴と自律神経失調症で体調を崩しました。
介護が始まってから引っ越しを決めた最初の頃は、ずっと緊張状態が続いていましたが、引越し先のマンションが決まった頃から、兄妹やその子どもたちに会えるということもあり、少しずつ緊張がほどけていきました。
介護の準備をするためにみんなが集まるので、家族と会って交流できるということが心の支えになっていたのだと思います。
両親の引っ越しを決めた頃、出向先から帰任しマネージャー職に就いて仕事を続けていました。
関東と大阪を行ったり来たりしながら親のケアと仕事を続けていましたが、体調を崩してしまったこともあってマネージャー職が難しいという話になり、一度ラインオフをすることを上司と話し合い決めました。
その後も仕事のパフォーマンスもあがらず、生産性でも貢献できていないし、自分でもキャリアがどうなってしまうかわからない状態。いっそのこと仕事を辞めて旭川に引っ越して転職しようかと考えることもありました。
早期退職をエントリーしようとした時、当時の上司が非常に話を聞いてくれる方で、このように話してくださいました。
「切迫した状況の時に物事を判断してはいけないよ。会社の制度で利用できるものもあるし、現場でも柔軟に対応するから、離職せずにいまできることを考えてみては?」上司は、一度ならずとも、わたしの置かれている状況やキャリアについての考え方をよく聞いてくださったことで、次第に落ち着いて考えられるようになったと思います。
両親の引っ越しが終わり、両親や家族に、いったん落ち着きが戻りました。自分の体調もよくなり仕事に時間をかけられるようになってきた時に、会社でやってきたキャリアの方向性を変え、これまでやってきたことを活かしながら、会社に貢献できるポジションを希望することにしました。
今は希望通りの仕事内容の職種に就くことができています。
会社では、コロナ禍を経て、より働きやすさを重視した改革が進んでいたこともあり、リモートワークを利用した働く場所に、セキュリティ面やネットワーク環境をクリアできれば「実家ワーク」が認められる動きがあり、父の見守りや母の精神的ケアを実家で行いたい私にとっても、しごとと介護の両立を後押ししてくれる環境となりました。
リモートワークの導入は、企業によっておしなべて導入ができるわけではないですが、企業側が職場環境を改善してくれるという考え方が、従業員のモチベーションを助けることになると実感しています。
介護が始まるという時に、いかに職場の上司に自分の状況をカミングアウトして話し合えるかということが大切になってきます。
なかなか難しいことではあると思うのですが、話さないでいると相互不信が起きることもあるでしょう。
会社は会社で求めることがありますし、それに見合わない自分ということで関係性が乖離してしまうということに。これが介護か?というはじまりの時点ではなかなか言い出せないものです。ですが、言わずにいると事態が深刻化してしまうのが、「しごとと介護の両立」の実態なのです。
こういったことを回避する方法や運動を職場で作っていくことはできないか?
会社と従業員の間の相互理解が深まり、ネガティブスパイラルを避け、ポジティブスパイラルが生まれる組織になればと考えます。
昨今では、DE&Iや職場でのエンゲージメント、コロナ禍で一度失った関係性や企業のカルチャーを見直すということも手伝って、企業のひとりひとりの従業員に対しての目線が真摯になっている時かと思います。
そういった社会のムーブメントに合った職場環境関係性を築いていけると良いのではないでしょうか。
ビジネスケアラーがやりがいを持ちにくくなってしまうモーメント(瞬間)についてよく議論される意見をまとめてみました。
従業員のやりがいを喪失させるインサイトについて、把握することも大切ではないでしょうか。
こういったことが諦めや離職・転職につながってしまうということがあります。
組織内で問題を解決するために大切なことは、「お互いに展望を持てる」ことです。
これらを考えていくことで、やりがいの喪失を食い止める、もしくはやりがいあるビジネスケアラーになるためにどんな施策が有効か、組織が模索し構築していく必要があります。
具体的にはどんな制度設計が可能か、いくつか具体例をご紹介いたします。
「プレ介護期間」をどう乗り越えるかというのが、ビジネスケアラーにとって非常に大切になってきます。
プレ介護期間の当事者は、行政での要支援・介護認定の手続きが間に合っていない場合が多く、特別休暇や時間休みを申請する公的な書面が用意できないことで、制度利用ができない場合があります。病院の診断書をもらう状態ではないこともあるので、家族看護のような休暇をとることがままならない場合も。
私の場合、職務がフレックス制度適用部署だったため、
また、よく介護休業があるから大丈夫、と思っている上司の方もいらっしゃるかと思いますが、介護休業は無給状態になってしまいます。一定期間、給付金はでますが、生活上のリスクが高まってしまいますので、なかなか選びづらい制度です。
制度で解決するばかりでなく、現場での働き方の工夫など、悩める本人だけでなく、会社全体で協議していく内容かもしれません。介護はフェーズによってかなり変わってくるということをあらかじめ知っておくことが大切です。
介護の状況を細分化して、フェーズごとに把握することも大切です。
マップにして可視化することで、コミュニケーションの活性化に使っていくことができるでしょう。
介護は個別に状況が違い、お互いに理解がしがたいところも出てきます。
介護状態になった時に、皆さんがロールストーリーを語れるような場やツールがあると良いと思っています。
「ここは違うけどここはわかるな」「ここを気にしていけばいいのか」ということを話し合うことで、お互い働きやすい職場にしていくきっかけになっていくかもしれません。
皆さんの持っているロールストーリーと今日の私の話を照らし合わせながら、ビジネスケアラーのことを考える種になれば幸いです。
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サポナビ編集部