田中さんのダブルケア事例──子育てと介護が同時に始まった家族の記録

田中さんのダブルケア事例──子育てと介護が同時に始まった家族の記録

田中さんは群馬県に暮らす30代の女性です。2人の小学生の子どもを育てるシングルマザーとして、仕事と子育てに向き合う日々を送っていました。

子育ての只中で、祖父母の介護が重なったとき、家族と仕事はどのように変化していったのでしょうか。

 

田中さんの生活に、少しずつ重なっていったもの

田中さんは群馬県在住の30代の女性で、2人の小学生の子どもを育てています。子どもたちが保育園に通っている頃に離婚し、家族三人での生活が始まりました。

田中さんの家の隣には、父方の祖父母が暮らしていました。祖父は70代で現役を引退したあと、徐々に体力が衰え、肺に持病を抱えるようになっていました。安静にしていても息苦しさがあり、日常生活にも不安を抱える状態だったといいます。

祖父の身の回りの世話は、主に祖母が担っていました。

田中さんの両親は離婚しており、父親は香川県で事業を営んでいました。姉は結婚して近くに住んでいなかったため、自然と祖父のサポートを田中さんが担う形で介護が始まりました。

一方で祖母は、田中さんが仕事で遅くなったときには子どもたちの保育園のお迎えに行き、食事の世話をするなど、子育てを一緒に支えてくれていたそうです。

家族は支え合いながら、日々の生活を何とか回していました。

 

仕事・子育て・介護が同時にのしかかる現実

祖父は肺炎を繰り返し、そのたびに入退院を繰り返していました。自宅では歩行が不安定になり、トイレで転倒することも増えていきます。祖母ひとりでは起こせず、そのたびに田中さんが呼ばれて手伝っていました。

田中さんは介護を続ける中で腰を痛めてしまいます。もっと楽な介助方法を知っていれば、子どもの頃から大好きだった祖父の介護に、より関わることができたのではないかと、今でも悔やまれるといいます。

当時、田中さんは設計事務所で事務の仕事をしており、フルタイムで週6日勤務していました。職場が近かったため、何かあれば連絡が入り、祖父の対応に向かっていました。小学生の子どもの体調不良や学校行事、祖父の介護が重なり、仕事を休まざるを得ない日も少なくなかったものの、当初は職場の理解を得られていました。

しかし、経営者が変わったタイミングで、「家庭の状況はいつ落ち着くの?」という言葉を投げかけられます。責められたわけではなくても、その言葉は田中さんの心に重く残りました。子育てと介護と仕事を両立したいという思いの中で、田中さんは転職を決意します。

その頃、香川県にいた父親が祖父の介護のために東京へ戻り、田中さん一家と同居を始めました。子どもたちを父親に任せられる時間が増え、田中さんは仕事に専念できる時間を確保できるようになります。

 

支援につながった転機と、その後に残ったもの

 

父親は祖父の介護と祖母のサポートを担っていましたが、祖父が入院すると、世間体を気にしてか毎日病院に通う祖母の疲労は徐々に強くなっていきました。祖父には身体的なケアが必要でしたが、祖母には精神的なケアが必要な状態になっていったのです。

田中さんは祖母の気分転換のために外出に連れ出したり、話を聞いたりしながら精神的なフォローに力を注いでいました。自分自身も小学生の子どもを育てながらの関わりで、余裕のなさを感じることも多かったといいます。

父親は、祖父と祖母の介護がさらに重くなれば仕事を辞めるしかないと口にするようになります。祖父母の生活費や介護費用は年金で賄えていましたが、田中さんには子どもたちのこれからの教育費を貯めたいという思いがありました。もし父親が介護離職すれば、家計は一気に不安定になる状況でした。

そんな中、祖父の入院先の病院から介護保険の申請を勧められます。申請の結果、祖父は要介護認定を受け、退院後は老人保健施設に入所しました。その一年後、祖父は肺炎を起こし、入院先の病院で亡くなりました。祖父の介護期間は、振り返ると6年に及んでいました。

祖父を看取った後、今度は祖母が体調を崩します。「おじいちゃんが玄関に立っている」「声が聞こえる」と話すようになり、精神的な不調が現れました。大きな喪失体験によるせん妄の可能性もあり、現在は定期的に通院しながら治療を受け、状態は落ち着いています。

 

抱え込む前に、支えにつながるという選択

田中さんのダブルケアは、祖父が亡くなったことで終わったわけではありません。祖母から頼まれた買い物をしたり、毎朝話を聞いたりと、負担は軽くなりながらも続いています。

この事例から見えてくるのは、ダブルケアが決して特別な家庭だけの話ではないという現実です。祖母は老老介護とひ孫の世話を担い、父親は親の介護と孫のケアを担い、田中さん自身も小学生の子育てと介護、そして仕事を同時に抱えていました。家族全員が、それぞれの立場でダブルケアの当事者だったと言えるでしょう。

家族で支え合えていた一方で、もっと早い段階で外部の支援につながっていれば、負担は違った形になっていたかもしれません。介護の方法を知っていれば、田中さん自身が腰を痛めることもなかったでしょう。相談することは、怠けることでも弱さでもありません。

今、仕事と家庭、そして親のことに不安を抱えている人に伝えたいのは、ひとりで抱え込まなくていいということです。子どもがまだ小さい時期だからこそ、無理を重ねない選択が、その後の生活を守ることにもつながります。

中さんの経験は、これから同じ状況に向き合う人にとって、小さな道しるべになるはずです。

 

この記事を書いた人

室津 瞳(むろつ・ひとみ)
NPO法人こだまの集い代表理事 / 株式会社チェンジウェーブグループ シニアプロフェッショナル / ダブルケアスペシャリスト / 杏林大学保健学部 老年実習指導教員
介護職・看護師として病院・福祉施設での実務経験を経て、令和元年に「NPO法人こだまの集い」を設立。自身の育児・介護・仕事が重なった約8年間のダブルケア経験をもとに、現場の声を社会に届けながら、働きながらケアと向き合える仕組みづくりを進めている。
【編著書】『育児と介護のダブルケア ― 事例からひもとく連携・支援の実際』(中央法規出版)【監修】『1000人の「そこが知りたい!」を集めました 共倒れしない介護』(オレンジページ)【共著】できるケアマネジャーになるために知っておきたい75のこと(メディカル・ケア・サービス)

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