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高齢者介護における権利擁護(けんりようご)2つの視点

高齢者介護の権利擁護 #コラム

 

この記事を書いた人

株式会社リクシス 酒井穣

株式会社リクシス 創業者・取締役 酒井 穣
慶應義塾大学理工学部卒。Tilburg大学経営学修士号(MBA)首席取得。商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機器メーカーに光学系エンジニアとして転職し、オランダに約9年在住する。帰国後はフリービット株式会社(東証一部)の取締役(人事・長期戦略担当)を経て、2016年に株式会社リクシスを佐々木と共に創業。自身も30年に渡る介護経験者であり、認定NPO法人カタリバ理事なども兼任する。NHKクローズアップ現代などでも介護関連の有識者として出演。

著書:『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2018)、『ビジネスケアラー 働きながら親の介護をする人たち』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2023)

 

権利擁護(けんりようご)とは?

権利擁護(けんりようご)とは、対象となる人の権利をかばい、守ることを指す言葉です。一般には、権利が侵害されている状態(あってはならない姿)からの脱却を目指すときに使われる言葉でしょう。その意味では、そもそも権利擁護という言葉が発せられる環境自体が異常ということになります。

高齢者という文脈で権利擁護が叫ばれる場合は、その多くが、自分の権利を主張することが困難な「認知症や寝たきりの高齢者にかんする議論」であることが多いようです。当然、プロの介護職は、こうした文脈において活躍するようにトレーニングを受けています。

ただ、権利擁護といった難しい言葉を持ち出すと「ようするに、虐待をしなければいい」といった短絡的な思考になってしまいがちです。しかし話はそれほど単純ではないので、ここでいちど、権利擁護における2つの視点として、記事にまとめておきたいと思います。

 

視点1.「あってはならない姿」からの権利擁護

介護における「あってはならない姿」として、すぐに思い浮かぶのは「虐待」です。特に、介護をめぐる「虐待」は、一般に信じられている以上に多数発生しています。実際に、介護職と話していると「かつて一度も(虐待を)行ったことがない」と言い切れるような人は、かなり少ないことに気がつきます。

介護職の倫理教育を徹底することが大事なのはあたりまえです。しかし、それだけでは不十分です。この背景には、倫理的に優れた人であっても「虐待」に至ってしまう構造的な問題があると考えなければならないのです。「あってはならない姿」から権利擁護を考えるということは、介護の職場環境と働き方(ワークフロー)について考えるということなのです。

これは、子供の世界における「いじめ」の問題にも似ています。「いじめ」は、学校における「あってはならない姿」です。しかし、それをただ「あってはならない姿」として教員を指導するだけでは「いじめ」の問題はなくなりません。現実として「いじめ」はなくなっていません。

那覇市(沖縄県)においては、かつて「いじめ」の報告件数が多いと、人事評価が下がるという職場環境がありました。しかし、報告件数が人事評価に反映されないことに決まった途端、那覇市の小学校では、前年327件の報告しかなかった「いじめ」が、なんと4,338件にまで増加したそうです(沖縄タイムス, 2017年)。

「あってはならない姿」というのは、残念ながら、現場には多数あるという認識からはじめないとなりません。そうしないと、こうしたことが発生している正確な件数すら把握できなくなります。それを把握した上で、これを個人の倫理教育の問題にするのではなく、構造の問題として扱う必要があることは明らかです。

「虐待」も「いじめ」も、介護職や教員といった個人の問題に帰結させないことが大切です。この場合の権利擁護とは「あってはならない姿」が現場に実在しているというところから開始して、構造的な解決策に至らないと、意味がありません。この権利擁護の入口は「課題認識」であり、出口は「職場環境と働き方の改革」なのです。

 

視点2.「あるべき姿」からの権利擁護

介護における「あるべき姿」とは、専門的にはノーマライゼーションと呼ばれる状態です。これを、あくまでも理想として、まともに取り合わないケースもあります。しかし、ノーマライゼーションは、少しずつではあっても、世界で実現されてきています。

この理想を見失うとき、私たちは、ついつい、要介護者のようなマイノリティーを隔離しようとします。恐ろしいのは、それが善意からの行動であるということです。要介護者専用の施設、要介護者専用のウェブサイト、要介護者専用のサービス・・・。

これらは、確かに必要だから、良かれと思って生まれているものばかりでしょう。しかし、こうしたものは、高齢者介護の権利擁護という視点からすると、まぎれもない精神的な隔離です。ノーマライゼーションに照らせば、これらは決して理想的な状態とはいえないのです。

いかに心身にハンディキャップがあったとしても、ハンディキャップがない人と同じように「自分の人生を選べる」という状態(自己決定)を目指すことが大切なのです。このような自己決定が担保されている社会の構築こそ「あるべき姿」からの権利擁護でもあります。

繰り返しになりますが、こうした発想を理想として片付けてしまうと、社会は発展していきません。とくにマイノリティーが隔離されていくような社会は、歴史的にも悲惨な結果になりやすいという点には注意する必要があります。そしてそれは、善意から生まれてしまうことも少なくないのです。

「あるべき姿」からの権利擁護の入口は「現状とノーマライゼーションとのギャップ分析」であり、出口は「ノーマライゼーションに近づくための具体的な施策の実行」です。ここで意識すべきなのは、善意のあるなしではなくて、どこまで利用者(要介護者)の目線に立つことができているかという客観的な評価です。

 

権利擁護が前進しているかどうかのチェックポイント

以上の議論を踏まえると、高齢者介護の現場で権利擁護が前進しているかどうかは、以下の4点に集約されます。このどれかが欠けていると、そこで行われている高齢者介護は、権利擁護の2つの視点からは問題が大きいといえます。

(1)「あってはならない姿」の存在を量的に把握しているか
(2)介護職の職場環境や働き方を継続的に改善する活動があるか
(3)「あるべき姿」とのギャップが課題として整理されているか
(4)課題解決のための具体的な施策が実行されつつあるか

これらは、介護事業者の経営者や、そこで働く介護職として、職場のレベルを把握するために大切なことです。また、利用者(要介護者)やその家族(介護者)の立場からは、こうしたことに対応している介護事業者かどうかは、重要な評価ポイントにもなるでしょう。

※参考文献
・若狹 重克, 『高齢者の地域生活支援における権利擁護実践 : ソーシャルワークとしての視座』, 藤女子大学QOL研究所紀要 11(1), 79-86, 2016年3月31日
・沖縄タイムス, 『いじめ「件数多いと評価下がる」を改めた結果… 那覇市の小学校、327件→4338件に』, 2017年3月1日

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